6月15日(土)「みんなの日」/「みんなの日」の様子 - 一貫教育の【自由学園】/ 幼稚園・小学校・中学・高校・大学部・45歳以上

6月15日(土)「みんなの日」/「みんなの日」の様子 - 幼稚園・小学校・中学・高校・大学部・45歳以上【一貫教育の自由学園】

「みんなの日」の様子

6月15日(土)「みんなの日」

2024年6月24日

6月15日(土)は緑ヶ丘校舎2階のホールで6月の「みんなの日」が、LA生116名(うちZoom参加2名)が参加して行われた。

はじめに、スタッフの鈴木の司会で礼拝が行われ、讃美歌510番「まぼろしの影を追いて」を賛美した。  

<「忘れられない人々」4期生・小熊順子さん>

「みんなの日」恒例の「忘れられない人々」は、4期生の小熊順子さんが障害をもつ子どもたちの診断・療育に関わる中でお世話になった太田昌孝先生についてお話された。

自閉症研究が始まったばかりの私が30代のころに属していた全国療育相談センターで、太田昌孝先生(東大精神神経科小児部・児童精神科医師)に相談に乗っていただいた。障害をもつ子どもたちのためにとの思いを持つ先生の研究と実践を結びつける手法から多くを学んだ。子どもたちの認知発達をステージに分けて次のステップへの成長をめざすという視点で太田ステージ研究会が設立され、現在も会員数が増え続けている。関わりのなかでの3つのエピソード。①3つの〇の大小の比較をするとき、1つの〇を手で隠して残りの2つの〇の大小を比較するとき、切り替えが難しく隠した〇を指してしまう。②バイバイの模倣。見えたままで、自分の掌が自分に見えるようにふる。③指差しは、多くの場合は言葉が出る前に多用されるものだが、言葉の出現後にはじめて指差しをする発達の順序の逆転現象が見られる。太田昌孝先生は晩年にNPO法人心の発達研究所を創設、2018年に77歳で亡くなった。アメリカ・カナダでの研修プログラム作成や大学で学生を指導するときなどに先生から学んだことが大いに役立った。感謝の意を表す。

<教養講座『世界を旅して知る人の心』藤原章生氏>要約

今年度2回目の教養講座は、藤原章生氏(ノンフィクション作家・毎日新聞契約記者)に『世界を旅して知る人の心』と題して、お話をしていただいた。

1)世界を旅して

取材のために訪れたイラク、アフリカ、ラテンアメリカの写真のスライドショー(BGMはギニアの音楽「ファンマ・アラー」)

2)召命

北海道大学入学後すぐに山岳部に入る。工学部資源開発工学科を卒業後、住友金属鉱山に入社しエンジニアとして働いていた。就職して2年後に中学時代の友達と会ったときに、その友達から「お前はジャーナリストになると思ってたよ」と言われて、一晩寝た翌日には不思議なことにすっかりジャーナリストになった気になっていた。毎日新聞を受けて運よく入社することになり、その後2021年3月まで記者をした(その後は現在まで契約記者)。

アフリカを取材している時に、ザイール(現コンゴ民主共和国)で長年生活しているカトリックのシスターの日本人女性に会った。彼女は結婚する直前に神様の声を聞いて、結婚することをやめてシスターの道に入った人で、私が新聞記者になったいきさつを話すと、「それは召命ですよ」と言われた。その言葉を聞いて以来、やれるだけは続けると思ってやってきた。

3)星野道夫との「遭遇」

1993年メキシコ・グアダラハラに留学していたときにアラスカ出身の留学生リサが星野道夫写真集『Alaska風のような物語』を見せてくれた。その写真集の中に載っていた北の春に大平原を疾走するヒグマの母子が隅のほうに描かれた写真に感動した。その後自著『絵はがきにされた少年』が、集英社開高健ノンフィクション賞を受賞したことで2005年にNHKでインタビューを受けることになった。その時にアナウンサーの方が「『絵はがきにされた少年』を読んで星野道夫さんの言葉を思い出した」と言った。その言葉とは次のような言葉である。

「いつかある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。例えば、こんな星空や、泣けてくるような夕日をひとりで見ていたとするだろう。もし、愛する人がいたら、その美しさやその時の気持ちをどんな風に伝えるかって。写真を撮るか、もし絵がうまかったらキャンバスに描いてみせるか。いや、やっぱり言葉で伝えたらいいのかな。その人はこう言ったんだ。自分が変わっていくことだって。その夕日を見て、感動して、自分が感動して変わっていくことだと思うって。」(星野道夫著作集3『もうひとつの時間』(新潮社)より)

4)「自分が感動して変わっていくことだと思うって」

2009年夏から盲人向け月刊誌「点字ジャーナル」で「自分が変わること」というタイトルでコラムを始めた。旅とは自分の変化を、自分の中の自分を知る場。1995年34歳から2001年39歳までアフリカで暮らして、人々を見る自分の目が変わったのか、人々が自分を見る目が変わったのか。コロナ以降に60代になって再度アフリカに旅をした自分を振り返ってみる。体験を重ね、知り得た人の数が増える中で、自分は取材者から旅行者へと変わったのではないか。

前のめりになって肩に力を入れて険しい顔をして何かを聞き出そうとしていた自分から、一人の旅人として入り込み、あえて取材はせず現地の人たちの会話を待って耳を澄ますような自分に変わったように思う。すべてをさらけ出して現地の人と交わりを持てるような自分でありたいと思っている。

お話の終了後、お話にも出てきた近著『差別の教室』(集英社新書・2023年)を販売した。

教養講座終了後、LA賛歌を皆で歌った。

<諸報告>

①NPO法人日本視神経脊髄炎患者会主催チャリティコンサート(10月20日)案内

②選択クラスの連絡係の選出について

②昼食後及び午後の避難訓練の説明

報告後、園庭に出て生活体操で体をほぐした。

<昼食・自己紹介・避難訓練> 

・昼食

初等部食堂で手作りの昼食をいただく。メニューは、ご飯、ミートローフ、グリーンサラダ、ミニトマト。土の会の野菜がミートローフとグリーンサラダに玉ねぎ(6㎏)、グリーンサラダに春菊(1.1㎏)に使用。

・自己紹介

昼食をいただきながら、4月に入学した9期生4名の方の自己紹介(第2回)を伺う。

・避難訓練

昼食後、初等部食堂昼食中に地震が発生したことを想定して避難訓練を行った。揺れが収まったとの合図のあと上履きのまま外に出て、食堂前の芝生に家族ごとに整列して人数確認を行った。

<午後の集い>

午後1時40分から緑が丘校舎に戻って「非常の場合について」考える時間を持った。

午後の集い開始時には、ご自宅のある地域別に以下の14グループに分かれて着席した。地域別14のグループ

①学園町・西東京市ひばりヶ丘3・ひばりが丘団地・南沢2.3.4、②西東京市ひばりが丘4・東久留米市中央町・南町・前沢・南沢5、③神宝町・浅間町・東本町・新座市西堀・氷川台・新川町・栗原、④野火止・八幡町・下里・小山、⑤幸町・本町・中央町、⑥西東京市ひばりヶ丘・住吉町・谷戸町・緑町、⑦住吉町・谷戸町・緑町、⑧西武線ひばりが丘北口方面、⑨田無方面乗り換え、⑩所沢方面乗り換え、⑪西武池袋線保谷、⑫西武池袋線線各駅、⑬池袋経由、⑭その他。

1.LA活動中の非常の際の避難場所の説明

以下、活動場所と避難場所

記念講堂→初等部のグランド、緑ヶ丘校舎→緑ケ丘の園庭、最高学部棟→最高学部棟前庭、坂より下(生活創作館、図書館、新天地など)→大芝生、生活団・みらいかん→正門横グランド、しののめ茶寮→しののめ茶寮の芝生。

2.事前アンケートの結果

交通機関が止まった場合、自力で帰宅できる方は約74%、学校にとどまりたい方は約26%。アンケートで学校に近い人の中には、帰れない人を泊めてあげることができると申し出て下さった方もあった。

3.方面別ミーテイング

方面別のメンバーの顔合わせと自己紹介を行う。(約30分)

午後3時前に終了。

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