復興支援活動の第28陣から/学生生活・学外活動 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

復興支援活動の第28陣から/学生生活・学外活動 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

学生生活・学外活動

復興支援活動の第28陣から

2014年5月16日

4月の最後、関東から東北に向かう学部生達は皆一様に2度目の桜を見ることになる。学園を出発した車の車窓に映るのは散り始めた桜並木だが北上する程桜前線を遡り、桜は再び満開に近づいて行く。5日後再び東京に帰る車から見る桜は行きしと同じ様に散り始め、だが出迎えてくれるのは東京の青々とした夏の新緑なのだ。そんな小さなタイムトリップの中で私は、我々が暮す日本が狭いながらもそれでもまだまだ余りある程学び多き所である事を新鮮に考えていた。震災直後から東北での活動を始め、既に最高学部生による震災支援活動も4年目を迎える。着実に復興を遂げ物資も行き渡り、だがそれでもやるべき事、考えるべき事に溢れているこの場所で我々学生は何を学べるのだろう。4年目を迎え、活動はこれまで以上に頭と心で行われるべきものになりつつある。

復興支援活動の第28陣から

仮設住宅にて

先月25日から29日までの5日間、最高学部生4名と引率の教員1名が東北震災支援として岩手県釜石市の大槌町で活動してきた。1年ぶりに活動に参加する者が2名、初めての参加となる者が1名、震災支援グループのリーダーを勤める者が1名と、グループは非常にバラエティに富んでおり、それぞれが独特の活動に対する視点を持っての参加だった。私自身、東北に入るのは6回目、1年半ぶりであり、この1年半の間に釜石がどんな変化を遂げたのか強い興味を持っていたし、2ヶ月連続の参加となる2年生は先月から準備してきた新しいプロジェクトを携えての東北だった。必要とされているものが、既に物資などという具体的なものでは無くなった被災地でのこれからの支援は、学部生自身の興味やアイディアがそのまま活動の骨子になる。何が出来るのか、何をしたいのか、そして何を自分が学びたいのかという主体を持った活動こそ、これからの東北に必要とされているものであり、その様な積極的な働きかけこそが私達は東北に対して考えを持っているという強い訴えかけになるのだ。

復興支援活動の第28陣から

活動の様子

さて冒頭の桜のタイムトリップとは別に、私にとっては今回釜石の町並みの変貌ももう一つの時間旅行であった。1年半ぶりの釜石は、全ての道に電柱が細かに立ち並び電線を張り巡らし、大きな野球のグラウンドが出来上がり、そして何より平地となった町のあちこちで土盛りが始まり小高い台地が作られ、そのせいで周辺の山々は激しく土を削られていた。巨大なゴミや瓦礫の山々は消え、周囲を囲む山に作られつつある復興道路へ向かう大型トラックが地響きをたてて走っている。真新しい復興住宅は仮設住宅と変わらない長屋形式ではあったがその外見は比べ物にならない程立派な建物だった。一昨年の夏を境に釜石から遠のいていた私には、これらの町並みの変容は大きな時間のギャップを感じさせられた。だがむしろ、受け入れるに重い変容もあった。仮設住宅には子供達の姿はとても少なくなり、変わる途中にある町にはむしろ整備の行き届かない場所とのコントラストをはっきりと見せつけられた気がした。釜石は、いや被災地全体が、復興を掲げながら現実的には最早力が足りず失速を重ねているという印象が、どうしても拭い去れなかった。これらは私一個人の感想ではあるが、他の学部生も少なからず同じ様な事を思っていたのではないかと想像する。もしかすれば日本の新しい形になれるポテンシャルを持ちながら、少しずつ小さくなっていく東北に何が必要なのか、私達の世代はもう少し真剣に考える必要があるだろう。

復興支援活動の第28陣から

活動の様子

自由学園生の行う活動の大きな特徴は、継続性にあると私は思う。毎月行くことで活動の幅は大きく広がり、可能性も大きく増える。そして何より、一人の学部生が繰り返し足を運ぶ事は単なる体験には無い深い意味を持つ。震災支援活動は、これからも長く続く活動になるだろう、何故ならあの場所からの必要と、そこから我々が学べることは、形は変わろうとも無くなりはしないからだ。より多くの学部生が、東北へと足を運びそこで自分なりの何かを学び取れる事を祈っている。

文・写真:宮内受之(3年)

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