「第1回共生共創フォーラム 共に生きる社会を創る」が開催されました/ライフデザイン - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

「第1回共生共創フォーラム 共に生きる社会を創る」が開催されました/ライフデザイン - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

ライフデザイン

「第1回共生共創フォーラム 共に生きる社会を創る」が開催されました

2024年6月28日

6月26日(水)10時40分~12時20分に、最高学部棟中教室で共生共創プログラムオープニングイベントとして「第1回共生共創フォーラム 共に生きる社会を創る」が開催され、最高学部学生のほか、オンラインで高等部生徒を含む20名の方が参加されました。

今回は、講師として松崎英吾さん(NPO法人日本ブラインドサッカー協会専務理事)、高橋めぐみさん(NPO法人日本ブラインドサッカー協会職員・最高学部2016年卒)、福澤和雄さん(NPO法人共働学舎理事・最高学部1969年卒)をお迎えしました。

 

左から、松崎英吾さん、福澤和雄さん、高橋めぐみさん、高橋和也最高学部長

  

松崎英吾さん(NPO法人日本ブラインドサッカー協会専務理事)のお話〈要約〉
「行動し、ビジョンを形に」
「日本ブラインドサッカー協会」と聞くとどんなイメージを描くでしょう。日本ではスポーツの各種競技ごとに競技団体を統轄する連盟とか協会という国内競技連盟(NF)が設置されている。連盟とか協会と聞くと堅いイメージを持つかもしれないが、日本ブラインドサッカー協会は、様々なことにチャレンジし続けてきた。今日はそのチャレンジの一端を紹介したい。
自分の学生時代を振り返ると、バックパッカーとして世界を旅したり、様々な実践を通して多くのことを学んだと思う。ジャーナリズムに関心があり、神保哲生さんのビデオニュース・ドットコムに何度も何度も「働かせてほしい」とメールを送り、念願かなってインターンに採用されたのは21歳のころ。首相官邸の取材に同行したり、4年生の時には40日間大学を休んで、温暖化による海面上昇により世界で最初に水没するとみられていたツバルの取材にも同行した。昼夜なく番組作りに関わりとても鍛えられた。大学は友人の協力もあって卒業できた。
大学卒業後は、ダイヤモンド社に入社してハーバードビジネスレビューの編集者として社会人をスタート。その後2回転職したのち、2007年から日本ブラインドサッカー協会の仕事を始めた。起業をするような思いだった。
日本ブラインドサッカー協会の前身である日本視覚障害者サッカー協会が設立されたのは20年ほど前の2002年。当時の視覚障害者サッカーをめぐる状況は様々な「偏見」や「思い込み」の中にあった。
今では選手たちの技術は国際レベルに達しているが、当時は技術も低く、ボールを1度止めないとシュートはできなかった。多くのことが、「できない」という思い込みにとらわれていて、戦術なども考えられない状態だった。また「障がい者」と名の付く「協会」は人を雇用できる経済状況ではなかった。厚生労働省に補助金申請に行けば「障害者なのにスポーツできるだけでマシだ」といわれ、当時の日本のサッカー界では「障がい者サッカーはサッカーではない」という位置づけだった。20年前の社会はそういう状況だった。
パラスポーツは認知されていなかった時代から、その価値を社会に伝えて、自分たちで稼いでビジネスとして自立できる道を模索し続けてきた。社会や人に対して何か価値あるものを提供できれば、状況は変わると信じて。
そして2014年に初めて、有料の公式試合としてブラインドサッカー世界選手権を国立代々木競技場フットサルコートで開催できた。障がい者スポーツの新しい見せ方を考えてスタンドも自分たちで作った。満員のお客さんで盛り上がった。
東京2020オリンピック・パラリンピックのサッカーのポスターには、男子代表主将、女子代表主将、ブラインドサッカー代表主将の3人が並んだ写真が使われた。パラスポーツの価値が認められた象徴でもあった。
現在年間5万人が参加する90以上のプログラムを届けられる団体にまでなって、日本ブラインドサッカー協会の収入の割合は事業収益61.8%、助成金35.4%、会費・寄付2.7%、となっている。
協会のビジョンは「ブラインドサッカーを通じて視覚障がい者と健常者が当たり前に混ざり合う社会を実現すること」。このビジョンを掲げて行ってきた様々な取り組みが、社会のタブーを打ち破り、社会そのものに変化を与えてきたと思う。選手の意識もプレースタイルも大きく進化した。
これまでの歩みを振り返って皆さんに大切にしてほしいことは、失敗を恐れずに「行動で学ぶ」こと。「行動して働きかける」と仲間も生まれる。来週開催される国際試合はついこの4月に開催を決定したもの。切磋琢磨しつつ一緒に変化を創っていく仲間がいてこそできること。
皆さんにもアクションを起こして学んでほしいし、自分自身もそうあり続けたい。

  

高橋めぐみさん(NPO法人日本ブラインドサッカー協会職員)のお話〈要約〉
「学生時代こそチャレンジを」
自由学園で学んできた私が、ブラインドサッカーに至るまでのことをお話することで、ブラインドサッカーを身近に感じていただければと思う。高等科時代は野外教育、キャンプのインストラクターのような仕事がしたいと思っていて、それを学べる大学も探していたが、それを一生の仕事にしていく決断がつかず、リベラルアーツを中心にして幅広く学べる最高学部に魅力を感じて進学した。最高学部に進学してからも、しばらくはインカレサークルで行っている小学生キャンプに参加したりしていたが、これは自分がしたいことではなかったと1年後には気づくようになった。ちょうどその頃に、上級生から盲学校でのアルバイトを紹介された。それが障害のある人に関心をもつようになったきっかけだった。予想していたのとは違って、障害を持っている人たちが私たちと変わらないことに驚いた。ギャップイヤーではデンマークでの生活を経験して、福祉が進んでいてワークライフバランスのとれた働き方が実現していることが印象に残った。帰国して、それまでしてきた経験や最高学部サッカー部のマネージャーをしていたことなどをもとにアルバイト先を探して、日本ブラインドサッカー協会でアルバイトを始めることになった。
アルバイトを始めたころの協会は、仕事が忙しく終電を逃してしまうまで働くことも何度かあったことを覚えている。しかし働いている大人たちが、大会に向けての準備など、本当に楽しそうに、一生懸命に働いている姿が衝撃的で、遅くまで働いていることに違和感を感じないほどだった。学生の間にこのような経験をすることが出来て本当に良かったと感じる。
そして、私は日本ブラインドサッカー協会に就職し、今年9年目を迎えている。こうして働き続けることが出来ているのは、学部時代にいろいろなチャレンジをして、いろいろな人と出会い、いろいろな価値観に触れる経験をしてくることが出来たからだと思っている。出会いや経験の機会を広げる共生共創プログラムも活用して、学生時代には是非いろいろなチャレンジをしてほしいと思う。日本ブラインドサッカー協会もそのためのお役に立てればうれしい。

  

福澤和雄さん(NPO法人共働学舎理事)のお話〈要約〉
「人生は冒険。自分で探し、自分で作れ。」
私は今年77歳を迎えた。どんなに生きてもあと20年。1日1日を貪欲に生きている。久しぶりに自由学園に来て、学生だった当時思い出すと、謙遜ではなくて本当に出来の悪い学生であった。小学校時代は虚弱児童であった私が、中等科から自由学園に入学し、生活の中で体を動かすことをいろいろと経験させてもらって、丈夫で健康な体を作ってもらえた。お陰で肋骨を5~6本折ったことはあるが、病気に罹かったことはない。男子部で大切にしていた体力・気力・知力の1番目の体力を是非大切にしていただきたい。
共働学舎を作った宮嶋眞一郎さんは、男子部1回生で男子部の教師だった。その彼が、なぜ共働学舎を作るに至ったのか。彼自身が視野狭窄症と言って、目がだんだん見えなくなる病を抱えていた。同時に学校というところは、どうしても勉強という1つの基準だけで生徒に順番をつけることから逃れることができない。そのことに彼は耐えられなかったのではないか。改めて言うまでもなく、人間にはたくさんの要素があって、自由学園は幸いに勉強だけでなく、いろいろな要素を見つけ出してくれるところで、単純に成績だけで生徒を見たりしなかった。それでも勉強の出来る・出来ないで順番をつけたり、規則を破ったら退学をさせたりするなかで、彼は葛藤していたのだと思う。
人間にはたくさんの要素があって、その中の1つだけで評価すべきではないし、生徒の中にそれらの評価では測れない価値を見つけ出すことができる。そしてイエス様の教えは赦すということであり、自分以外の人のために自分の命を使うということ。
宮嶋さんはそう考え、今から50年前、生きづらさを抱えている人たちを差別的に見ることが多い社会の中で、自分の郷里である長野県で、そのような人たち数名との生活をスタートさせた。
共働学舎では、健常者と障害者とを分けることはしない。健常者という言葉が大嫌いだ。健常だといえるような者はいないし、健常と言われる人が集まって、なぜ世の中がこんなになっているのか。そのところを皆さんもよく考えてほしい。
私たちが共働学舎を始めたときに、周りからは3年でつぶれるだろうと言われた。普通に考えたらそうだ。体が不自由だとか、計算が遅いとか、精神的に不安定で毎朝なかなか起きられないとか、そういう人たちと一緒に生きるわけだから、そして自治体からの補助金はゼロで、私たち自身の自労自活で得た収入と、会員の方々の寄付だけで運営をしてきた。現在各場所の人たちを合わせて約120名がいるが、現実はいつもかすかす。それでも共働学舎では、健常者とか障害者という言葉はありません。ただ一緒に生きているから違いはある。しかし違いを差別につなげるのではなくて、違いは違いとして受け入れる。お互いの違いを受けいれて一緒に生きざるを得ない。
共生共創プログラムで挙げられているいろいろなところに行くだけでも面白いと思う。自由学園は一般企業に入るための教育、入りやすくするための教育をほとんどしていない。「自分で考えて、自分で探してこい、そして自分で作れ」という教育だと思う。自由学園の教育は、冒険をする人生に乗り出すためのものだと思う。冒険とは次がわからない、明日がわからない生活。冒険は大変で苦しい。苦しいからこそ、そこに自分の弱さ、そして本性がでてきて、宗教について向き合うことにもなる。私自身この齢になって、聖書に書いてあることがようやく本当だなと思えるようになった。聖書の言葉も冒険をしない限り、本当に心の深く入ってくることはないのではないか。冒険のない人生はやめたほうがいい。それは後悔しか残らない生き方だ。ぜひ、冒険してください。共生共創プログラムも面白がって参加するといい。ぜひ皆さん面白がってやってみる冒険の精神をもってください。

 

松崎さんのお話を聞く学生たち

 

ゲストへの質問の時間

 

学生の感想から
https://www.jiyu.ac.jp/college/pdf/co-cre-rev2024-1.pdf

  

見逃し配信のご案内
見逃し配信をご覧になりたい方は、以下のYouTubeをご覧ください(85分)。
https://youtu.be/coRQmHE0KbI

 

文・写真:鈴木 康平(最高学部)

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