第135回 「弔辞 市古夏生君」/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第135回 「弔辞 市古夏生君」/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第135回 「弔辞 市古夏生君」

2019年10月2日

10月2日快晴、名残りの暑さが少し身にこたえる日であった。畏友市古夏生君の告別式で弔辞を読ませていただいた。

「葬儀の時の弔辞は頼んだぞ」
互いにそんな冗談を言い合ったのは、大分前でした。それが何だか現実をおびたのは、共通の友人であった木越治君が昨年6月に亡くなった時でした。その頃から揖斐高さんを交えてやっていた年の暮れの麻雀の集まりは、歯車が狂い始めていました。それでも今年の4月には、市古君が呼びかけ人になって、『日本国語大辞典』の出典検討をしていた仲間の会を開催する予定でした。どうも体調が思わしくなく幹事を辞退するという知らせがありました。私はちょっと気になりましたが、ほとんど気に留めず木越君に変わる麻雀の仲間を考えたりしていました。それから半年もたちません。
なんとも早い旅立ちです。

市古君は、昭和22年東京都で生まれ、早稲田大学大学院を終え、甲南女子大学・白百合女子大学を経て、お茶の水女子大学で教鞭をとり、同学の理事・副学長もつとめました。
出版文化を背景とした江戸期前期の小説並びに、文学者の伝記研究などが彼の研究の中心課題でした。博士論文となった『近世初期文学と出版文化』(若草書房)をはじめ(因みにこの本は、販売時の約8倍、中古で80,000円を越えます。日本の文学研究書でもっとも洛陽の紙価を高めたものと云ってもいいでしょう。)江戸文化研究の基礎文献とも言うべき『江戸名所図会』(ちくま学芸文庫)の解説。作家の原稿料の研究をまとめた『作家の原稿料』(八木書店)もユニークなものです。
それらの中で、何といっても大きな金字塔は、編者となった『元禄・正徳 板元別出版書総覧』(勉誠出版)『近世初期出版年表』(勉誠出版)などの書肆の研究です。『近世初期文学と出版文化』のあとがきで、市古君は次のように記しています。「書肆がどのように書物を蔵板し、どのような著者と結びつきが深いか、などを知ることは重要だと思い込み、書肆付けの部分に注目してカードを取る作業を本格的に開始した。」と記しています。甲南女子大学に努める以前、大学院時代を回想した記述です。「重要だと思い込み」と云った言い方には、彼のこの研究に対する覚悟が見えます。市古君の江戸時代前期における書肆の研究は前人未踏と云ってもいいものです。唯一人、彼でなければなしえなかった業績です。多くの書物が刊行され多くの書物が消費され歴史から消えていくでしょう。しかし、彼の行った書肆研究は後人によって積み重ねられることはあっても、その基盤は揺るぎないものです。
ワシントンのアメリカ議会図書館を始め、対馬宗家・新潟県黒川村などの和古書の目録作りも一緒でした。全国の地方図書館回りもしました。すこし猫背で閉館のぎりぎりまで書肆カードを取り続けていた彼の姿が浮かびます。

9月23日、病状の悪化をいく子夫人のメイルから知ったのは、西尾市に向かう新幹線でした。一緒に岩瀬の文庫に初めて行ったのは20代前半でした。陽光に照らされる三河湾の海の向こうに、あの丸みを帯びた字と君の顔が浮かびました。
あれから、50年以上たちました。一年以上顔を合せなかったのはこの一年です。映画も、山へのハイキングも夫婦一緒でした。老後の楽しみにと山の家も同じ路線にしました。研究仲間というよりは、互いに家族のことを語り合うことの出来る唯一の友でした。

会議嫌いで書斎にいることを何より愛していた彼が、大学の副学長をつとめたのは、誠実な彼の人柄でもあり、表面には見せなかった教育への深い情熱の結果でしょう。彼の教えを受けた門下の学生が大きく羽ばたいていることや、お茶の水大学の卒業生らとまとめた『日本女性文学大事典』(日本図書センター)の刊行に力を注いだことも言い添えておきましょう。
退職後、柔らかな微笑がさらに輝きを見せているようなそんな気がした矢先でした。無念です。無念至極です。しかし、市古君は研究者として誰もまねのできない道を切り開きました。そして教育者として多くの女性研究者を育てました。無念に変えて感謝を込めて弔辞を終わります。
「ありがとう市古君」

 

2019年10月2日 渡辺憲司(自由学園最高学部長)

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