第108回 ブルーミントン滞在記 インディアナ大学、ポピュラーカルチャー講義余禄/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第108回 ブルーミントン滞在記 インディアナ大学、ポピュラーカルチャー講義余禄/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第108回 ブルーミントン滞在記 インディアナ大学、ポピュラーカルチャー講義余禄

2018年10月3日

9月の終わりから10日間ほど、インディアナ大学の招聘研究員としてアメリカのブルーミントンに行ってきた。
今回の主たる目的は、ここ20年以上にわたって続けられている、『江戸アンソロジー』編集のためである。このアンソロジーは、江戸の所謂サブカルチャーと呼ばれている、庶民的な<草紙類>を集めたもの。江戸時代の西鶴や近松といった代表的作品は欧米でも翻訳されよく知られているが、取り上げられている作品は、その多くが翻訳されていないものである。又、原本に忠実な挿絵を多用しているのも特徴的である。既に第2巻の江戸中期の作品を中心にした上方編、第3巻の幕末から明治初期の作品を集めた東京編が、ハワイ大学出版から刊行されている。今回は最終巻になる、第3巻の上方編の編集のお手伝いのための渡米である。
お手伝いと云っても、同大学のスミエジョーンズ教授が、ライフワークとして全エネルギーを傾けている作業の後ろからついて行くだけのこと。まさに驥尾に付す蒼蠅と云った役割である。

 

編集会議に多くの時間を割いたが、この他には、近くのブルーミントンの南高校で話をすることと、招聘先の高等研究所と東アジア研究所の協賛で、17世紀の文芸状況について和紙の効用を中心にワークショップを開催することであった。

高校での話は、世界中で今もっとも売れているマンガ、『ワンピース』。
もちろんここブルーミントンでも書棚の一角をしめている。何人かの生徒からワンピースのファンであると手が上がった。そのルーツの一つには江戸時代からのポピュラーカルチャーの影響があること。そしてそれが何故世界的なヒット作品になったかを、主人公ルフィをはじめ各々の個性が極めて生き生きとして描かれていること。又、冒険談を支えているものが、友情であること。その友情は、国家・宗教などを越えているテーマであることなどを話した。こじんまりした雰囲気で質問に答える時間の方が多かった。
アメリカの高校生を前にして話したのは、初めてだったが、たどたどしい私の英語を友好的に迎え入れてくれた。高校は郊外にあって実に広い敷地であった。警備体制の物々しさには驚いた。ガードマンのほかに兵士も常駐しているようだ。最近の高校における銃乱射事件の影響によるものであろう。

 

ワークショップの方は、予想を越えた人数で、講義形式になった。持参した家蔵本もうまく見せられず、時間に追われた。

表題は「The Culture of Washi Paper and the Rise of Popular Media in Early 17th Century Japan」
主に4点を話した。

1::Introduction of movable-type printing
2::Advantage wood-block printing
3::Utility of washi
4::Spread of education for girls

何故、日本にポピュラーカルチャーが、現代においても盛行なのか。そのルーツを17世紀初めの出版状況を考えてヒントをつかもうとするもの。以下の英文は、話のポイントをスクリーンで示したもの。話は英語?でやったが、手ぶり身振りの日本語?の方が多い。

 

第1点は朝鮮半島への侵略とキリシタン文化渡来による古活字本制作の状況について。
Japan’s failed attempt at invading Korea during the late 17th century produced TWO beneficial results.
Ceramic ware production
Movable-type printing
Christian faith came to Japan during the 16th century resulting in several millions converts including daimyo lords,
They brought to Japan, among other things, European printing method with which they published Christian texts in Japanese.
The same technique had already been used in Buddhist publication since the ancient times, but now it brought to Japan fresh contents.
Those Christian books from the 16th century are so rare that they hitch very high prices in the rare book market.

 

第2点は、古活字から版本という日本独特の草書体及び挿絵挿入への適応。
個々に分割された漢字などの文字は、活字に有効なのであるが、連綿体、草書体は活字で表現するのは極めて難しい上に、その制作されたものも、一部特権的な富裕層などに広まるだけで拡散することは出来なかった。
The reasons why woodblock printing was found superior to movable type printing in early modern Japan
Movable-type printed books were extremely expensive. Only persons of high-rank with affluence could afford them
Japanese writing was characterized by “grass writing” style, in which letters run together making it impossible to separate them into types

ここでちょっと脇道に入って、古活字本の特徴的見分け方を話した。
持参したのは、16世紀成立と思われる朝鮮古活字の族譜と17世紀の日本の版本。匡郭部分の小さな隙間を有する古活字と版本の隙間のない匡郭を比べた。英訳は、最高学部4年生の磯部佳奈さんに下訳を作ってもらってジョーンズ先生に手直ししてもらった。以下の説明は、実にうまい表現だと思う。
As you can see, the end products look very similar. But there are a few distinguishable signs:
A typeset page necessarily leaves a faint line at the corner of the page, while a woodblock printed page does not show an extra line.
While typeset printing did not allow any illustration within the text, woodblock printed materials are full of illustrations-often the written text being squeezed into spaces left by the illustration.

如何に版本と云う技術が思いついたとしても、これを受け止める材質がなければ、大衆化することは出来ない。安価な材料が必要である。まずその第一が版木の材料となった、桜の木、殊に山桜の存在。
中国で梓が、版木に使われることはよく知られている。「上梓」などと言う言葉は、これが出典。日本では「桜に上す」などとも云う。梓は「木の王様」などと言われるが、桜は日本でもっとも大衆的な木である。版木の見本を見てもらった。版木は自由学園総務部に所属する中川龍氏の制作したもの。一つは写楽の美人、もう一つは鳴門の渦潮を描いたものである。細密な彫りには参加メンバーも驚きの声をあげていた。
The earlier Chinese method required hardwood called Azusa. This was so rare and expensive that it was not suitable for popular printing.
Cherry, on the other hand, was readily available in all parts of Japan, so the price was much lower.
In addition, cherry is a wood that is easy to carve. While it was soft enough for the carving artist, it later hardened for later repeated use.
For quick printing of news sheets and best seller books, this was an ideal material.

 

そして、今回の発表で最も力を入れたのは、和紙の効用である。和紙の調査においては、自由学園最高学部講師の大柳陽一先生と彼のお母さんで和紙研究家の大柳久栄氏のお世話になった。お二人には、石州(島根県)まで出向き、石州和紙の見本帖を作っていただいた。それも今まで我々が見てきた半紙などの断片的なものではなく、すき返した原版の全紙である。手わざの見事さが忠実に反映されているもので、私も初めて接した見事なものである。ワークショップでは無形重要文化財指定者の久保田保一氏らの作品に実際に触ってもらった。触るだけではなく、和紙の見事さは音にもあると、大柳家で伺った話の受け売りを話しながら、石州和紙を揺らしながらその音を確かめた。これは講演後もかなりの反響であった。
One of the great features of washi is that it is eminently recyclable.
The trash picked up from the streets would be made into fresh paper.
Washi books last very long and school textbooks were usually used for several years by generations of pupils.
Washi can preserve important cultural contents for centuries without requiring chemicals or metal vaults.

版本技術そして桜の木の対応があっても、それを受けとめる「紙」が無ければ印刷文化は成立しない。それも大衆紙の存在が必要である。可能にしたのは、「和紙」が、農閑期の冬に農民の手仕事として成立したことである。それは日本多くの地域で行われる必要がある。そして、紙がリサイクルされることである。紙が所謂屑屋さんによって集められたのである。特定業者に対する依存という階級的構図の結果であり、美的に環境保持を賛美することは出来ないが、紙が再生産され文化の根幹になったことは、重要である。
The quality of paper was an important factor for the high production in the book business.
Depending on the genre of writing, different types of paper coming from different regions of the country were used and cut in specific sizes to suit the genre.
Thanks to the quality of paper, a large number of books and pictorial prints of the time are extant in Japan.
Picking up paper trash was the job for “village people” who belonged to the lowest level of social strata.

Paper is broadly used in Japanese architecture because it allows light and air to come through

 

以上3点の外的要因を受け止めるものが、上流貴顕階級中心であったならば、日本にポピュラーカルチャーはこれほどまでに受け止められることはなかった。日本のカルチャーの大きな特徴は、女性の教養が高かったことである。おそらく日本の女性の識字率は、世界一であろう。上流階級が、高い教養を有することはいかなる国でもあり得ることである。ことに、権力を握る男性が高い教養を有することは封建社会においては、至極当然である。教養の高さは、権力の強さとしばしば比例する。しかし、日本では、権力者が読者人口を拡大したのではない。女性が多くを占める大衆によって読者は拡大したのである。我々が呼ぶところの「物の本」は、教義的、教養的なものである。儒教・仏教といった思想の広がりの為や、教訓的なものが「物の本」である。対して、大衆読者を相手とする「草紙」は、娯楽である。その娯楽性のレベルの高さが、日本のサブカルチャー、広範囲に言えばポピュラーカルチャーを支えたのである。それは江戸時代の日本が誇るべきことである。
Girls during the Edo period prided themselves on their ability to read and write. European visitors marveled at the high literacy among commoners. It was women who constituted a large portion of readership.

この流れが、現代のマンガを代表とする文化の興隆に強い影響を与えているのは事実である。
Thanks to widely spread education, the market for books and print among commoners was very large.
Lending libraries carried not only books based on history, including historical novels, but all genres of popular literature.
There were publishing houses that sold books as well as ukiyo-e prints of famous performers, stage scenes, and landscapes.
The current phenomenon of manga, anime, and computer games in Japan find their roots in Edo period popular culture.

何故、ポピュラーカルチャーが日本を特徴づける要素となったかは、さらに考察が必要であろう。ワークショップでは、ほんの一言しか触れなかったが、日本が17世紀初頭に形成された、「三教一致」の思想が重要だと私は考えている。儒教・仏教・神道、さらに世俗的宗教などが混合した形で今も存在していることである。それは、当時、非常な勢いで勢力を強めた一神教のキリシタンへの対抗的思想(感情)であった。キリスト教には排斥的であったが、三教一致という形で形成される、寛容的思想は、多くの人の宗教的無関心さ曖昧さを生んでいきながら家族的絆又地域集団の道徳感情の連帯意識を生んでいったことも事実である。一方で、固定的思想が形成する人権意識から乖離する三教一致思想の負の遺産状況についてもいつか触れてみたいと考えている。特に外国の地でそのことを述べてみたいものだ。
ワークショップでは、最後に、17世前半の三教一致の仮名草子であり、日本最初のベストセラーと称される『清水物語』(寛永版 家蔵)を見てもらった。

 

追記:
中川龍氏制作の版木及び大柳陽一・大柳久栄両氏制作の和紙標本帳は、インディアナ大学の貴重書・美術工芸品を収集しているリリーライブラリーに寄贈した。リリーライブラリーに所蔵されることが日本文化の広い理解につながると確信する。
尚尚。
ブルーミントンは、インディアナポリスからノンストップで約1時間。約10万人の都市である。その9割は大学関係者。卒業生が退職後に、もっとも帰ってきたくなる大学町だそうだ。週末のコンサートなどを主催する芸術学部、日本政府が推奨する英語学校、ビジネススクールも著名だ。日本文学関係しか見ていないが、日頃使用する研究書の豊富さは、日本の有数図書館よりも充実しているであろう。
日本人の学生は、最盛期の3分の1に激減しているそうだ。日本人留学生の激減は、ここのみではない。全米の状況である。中でも日本文学・日本語講座も著しく縮小されている。もちろん、アメリカの大学が大学設置地域出身者優先という壁を持ち、留学生に対する授業料が高額であるといった面も不利な条件ではある。しかし、奨学金や、大学関係のアルバイトも充実している。チャレンジの可能性は十分にあるはずだ。日本の政府、大学も、グローバル化を叫びながら、留学援助金は減少の一途だ。中国・韓国との差はあまりに歴然としている。無策はここでも日本の未来を暗くしている。日本の文化を外国で学ぶことの意味をもう少し考えてほしいものだ。英語力も必要だが、自らの日本文化理解をを外国の土壌で挑戦的にぶつけてみることも必要だ。
200年以上も続く土曜日の朝のファーマーズマーケット。夕方のダウンタウンのフェスタ、カントリ-ミュージックにのりながら地平線におちていくサンセットブルー。コーンウイスキーをチビチビ飲るのもいい。
私にとって6度目のブルーミントン。スポーツバーのタァトウのバーテンダー?「7度目には俺がおごるぜ」と云っているように聞こえたが、また、また、また、聞き違いであろう。

 

2018年10月3日 渡辺憲司(自由学園最高学部長)

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