人間のすごさを伝えたい

人間のすごさを伝えたい

吉村 もと
Moto YOSHIMURA

スポーツカメラマン

女子部 79 回生

2018年8月7日談

学部1年のときに購入したレンズと共に

高校野球の写真に心が震えた

 私、いわゆる「松坂世代」なんです。高3の夏休みにはクラスの友人7人くらいで甲子園まで松坂大輔選手を見に行きました。アルプススタンドで楽しく観戦した数日後、ある雑誌を見たら、砂埃の中で松坂選手が呆然と立っている手前で、ガッツポーズしながらPL学園の選手がホームインする写真がありました。その時「同じ場所で同じものを見ながら、カメラマンはこういうところを見ているのか」と感動で心が震えて。そこから自分も写真を撮りたいと思い始めました。

 

スポーツは見るのもするのも好き。スポーツカメラマンの道があると知り、その世界で活躍されていた赤木真二さん(男子部35回生)に会いたくて、お父さまの赤木英哉先生(故人。元自由学園教師)をつかまえて電話番号をうかがったんです。学部1年の時には赤木さんのアドバイスで、カメラやレンズも買いました。60万くらいしたのですが、親のゆるしを得て成人祝いのお金を全部つぎ込みました。レンズは今も大切に使っています。

 

その後、赤木さんに写真を教えてもらいながら、学部や大学のサッカーを撮影するようになりました。「フリーランスでスポーツの世界で生きていくのなら、英語はできたほうがいい」と言われて、卒業後はイギリスで2年間勉強。おかげで苦手だった英語をしゃべれるようになり、海外でも物怖じしなくなりました。

大腿義足の走り幅跳びメダリスト、山本篤さん(写真 吉村もと)

障害を忘れてしまう瞬間

 写真の仕事を始めたばかりの頃、偶然大阪の公園で車イスのレーサーがビュンッと走っているところに出くわしました。「F1マシンみたいでカッコいい」と思い、どうすれば撮影できるか調べたのが、パラスポーツ(障害者スポーツ)に関わるきっかけです。当時はパラを撮るプロカメラマンなどいなかったので、さまざまな競技に関わりました。

 

初めてのパラリンピックは、2004年のアテネ。ブラインドサッカーをそこで初めて見て「何だこれ!」と思いました。ボールの鈴の音を頼りにプレイするのに、飛んでくるボールには音がしない。それなのに浮いたボールをポンとボレーシュートするんです。他の競技も見れば見るほど知らないことばかりでした。

 

水泳、陸上、アイススレッジホッケー、バスケット、テニス、スキー。選手を見ていると「私には絶対できない」と思うほど、身体能力は想像のはるか上を行っています。障害があってもこんなことまでできるんだ。人間の能力ってすごい。見ていると完全に障害を忘れてしまう瞬間があるんですよ。

 

仕事をしていて一番楽しいのは、知らないことを知った時。「こんなこと知らなかった!」ということがあると、「もっともっと知りたい」と思うんです。だから、知らない人にパラスポーツの面白さを伝えることも、私の役目だと考えています。

 

日本は2020年に向けて盛り上がっていますが、お祭だけで終わってしまうのはもったいない。その後も盛り上がっていくために多くの人にスポーツとして楽しんでほしいんです。ロンドンでは、パラリンピックの後にその魅力に目覚めた市民によって評価が変わり、今もみんなが観戦を楽しんでいるんですよ。

アイススレッジホッケーバンクーバーパラリンピック準決勝。優勝候補のカナダに勝利した日本代表(写真 吉村もと)

技術の上に感情を乗せる

 ずっと追いかけてきた選手が、試合で結果を出すのは本当に嬉しいです。裏側にある苦労を知っているからこそ、一緒に喜べる。忘れられないのは、バンクーバーパラリンピックで、アイススレッジホッケーの日本チームが今まで一度も勝てなかったカナダに勝ったこと。海外まで追いかけて取材をしてきたので、それまでのチームの思いがすべて現れた写真が撮れました。

 

パラスポーツは年々進化しています。道具がとても大切で、選手の力と道具がかみ合った時に進化していく。そのためどれだけ道具にお金を使えるかも重要です。

 

日本では、2020年に向けて予算が組まれていますが、障害者福祉的な視点が大きく、ロンドンやドイツのようにスポーツとしてメジャーではありません。車いすバスケは体育館の床が汚れるからと貸してくれなかったり、アイスリンクが足りないためホッケーは夜中3時に練習していたり、欧米とは環境がまったく違うんです。

 

でも、プロ車いすテニスの国枝慎吾選手や、大腿義足での走り幅跳びメダリスト山本篤選手のようなスターが出てくると、競技人口も増えて意識が変わります。健常者であっても障害があっても、どんな人もスポーツを楽しめる国のほうが幸せだと思うんです。

 

スポーツ撮影のよさは、相手からパワーをもらえること。そこに障害のあるなしは関係ありません。選手はみんな試合に賭けているのでこちらも集中力が必要です。覚悟を決めて準備をし、撮影に向かいます。

 

学園に在学中、同級生に「技術と感情が一緒になった時にいい写真が撮れる」と言われたのを覚えているのですが、この10年間は技術を磨き続けた日々でした。ようやく技術の上に感情が自然に乗っていく写真が撮れるようになってきたかなあと思っています。

パラスポーツの面白さを伝えたい

吉村もと(よしむら もと)

1980年生まれ。2001年自由学園最高学部を卒業後、英国へ。マンチェスターの語学学校で半年、London College of Printingで写真を1年半学び帰国。アルバイトをしながら写真家への道を歩む。2004年にアテネパラリンピックの撮影を開始して以来、障害者スポーツを中心に活躍する。