パンを通じて愛を配りたい

パンを通じて
愛を配りたい

山下 雄作
Yusaku YAMASHITA

Boulangerie Yamashita 店主

男子部 57 回生

2019年11月27日談

古い倉庫をリノベーションしたBoulangerie Yamashitaの食堂で。

パン作りの修行は3年弱

 二宮に店を構えて6年目を迎えました。平日は毎朝3時に起きて3時半には仕事場に。そこから6時頃までは生地作りをしています。週末は仕込みが多くなるため、さらに1時間早く起きています。それから2名のスタッフと共にパンを分割・成形・焼成作業をし、10時に開店。開店後は、次の日の生地の仕込みをしています。オープン当初は12~13種類ほどだったパンも、今では35種類前後まで増えました。

 

実は僕、パンの修行というものはあまり長い期間していません。33歳の時、大手の製パンリテールベーカリーに勤めながら修行させてもらっていましたが、実はそのパン屋さんではパンを焼いたことがありませんでした。修業期間はたった2年10ヵ月。業界では独立まで最低でも5~6年と言われています。そのうち1年間は主に成形作業で、残りの期間は生地作りをさせてもらいました。それまで経験もない自分には果たしてこの技術が身につくのか自信はありませんでしたが、同僚に「とにかく続けてください。続けていれば、いつか作れるようになりますから」とその言葉をすがるように信じて、無我夢中でやっていました。

毎日行列ができ、多くの人でにぎわう。

あるきっかけから、価値観が大きく変わり、パンの道へ

 僕は最高学部在学中、デンマークのオレロップ体育アカデミーに留学しましたが、留学先のデンマークからノルウェーにスキー研修に行った際に膝をひどく壊してしまったため、体操教師になる夢を諦めて帰国。卒業後は習得したデンマーク語のスキルを活かしたいと、約10年間デンマークの家具メーカーに勤めました。その家具メーカー勤務時代に、当時の自分の価値観を揺るがされる出来事があり、6月のある日、突然会社をやめて、それまでとは違う新しい生き方を探す選択をしました。

 

その後、約1年ほどは、価値観が変わり過ぎて精神的にも不安定で仕事ができなかったのですが、そんな不安定な状態の父をよそに、息子は毎日欠かさずモグモグと食事をしている姿を見て「食すること」は「生きること」と思えるようになり、それからの人生は「人のためになる仕事がしたい」と思ったんです。家具メーカーでは人がデザインしたものをただ売るだけでしたが、自分でものを作りたい、地に足をつけた生き方がしたい、日常の「食」に携わっていきたい、そう思った時、頭に浮かんだのが粉だらけになりながらパンを捏ねて焼き続けるパン職人のイメージでした。

 

それからパン屋で修業する傍ら、自分のお店を開く場所を探しました。神奈川県で都会的要素からなるべく遠く、落ち着いて暮らせる場所を探していたところ、二宮のこの場所で30年放置されていた物件に巡り合いました。二宮は創立者の羽仁吉一先生が最期を迎えた土地で、とても心強いと感じたことも決め手の一つだったと思います。ヨーロッパの街角にあるような小さなパン屋をイメージしながら、解体から内装工事、塗装まで、知人の力も借りながら、自分でできるところは全て自らの手でリノベーションしました。

「お客さまに心に残るものを持って帰ってもらえたら」

作り手の温もりが伝えられる場所に

 開店初日には長蛇の列ができていました。思いもよらず、まさかの開店1時間で完売。当時は人手も技術も足りず、量も作れなければ厨房の回し方も非効率でしたが、毎日コツコツ積み重ね、今はだいぶ余裕ができました。有難いことにお客さんが来なかった日はこの6年間で一日もありません。

 

いまは食堂を併設していますが、「カフェ」ではなく、「食堂」と呼んでいるのも、自由学園の食堂の温かいイメージがあったから。そこで使う食器も家具も、すべて自分で選んで「作り手の温もり」が伝わるような世界観を統一しています。家具選びには、家具メーカーに勤務していた経験も活きています。また、食堂のスペースを使って、いろんな作家さんの作品を展示することで、多くの人に素晴らしい作品との出会いも提供できる場を作っています。

 

食の安心も重要なテーマで、2年前から使用する粉は国産小麦へと変えました。いずれは小麦を育てて製粉するところからやりたいと思っています。そのうち黒パンも作ってみたいですね。環境に対する意識付けもできるよう、お店で使うストロー用にと大麦も植えています。

 

僕はパン屋ですが、ただパンを作って売っているのではなく、お客様に何か心に残るものを持って帰ってもらいたいと常に思っています。モノがあふれている今の時代にあって、個人店でやっていくには「ただ物を売る」のではなく、そうした強い意志が欠かせないと思っています。僕はこのBoulangerie Yamashitaという場所が、日常の糧であるパンを通じて、いつも人に愛を配れる場所でありたいと心から願っています。

山下 雄作(やました ゆうさく)

1977年生まれ。男子部中等科より自由学園で学ぶ。1996年に休学し、デンマークのオレロップ体育アカデミーに留学。1997年に復学、2000年自由学園最高学部卒業。デンマークの家具メーカーの日本法人に就職し、2009年に退職。2011年より大手製パンメーカーに約3年勤め、2014年に神奈川県二宮町でBoulangerie Yamashitaをオープン。