何もないこの場所の豊かさで迎えたい

何もないこの場所の
豊かさで迎えたい

山代 陽子
Yoko YAMASHIRO

山小屋「フィールドノート」女将

女子部 67 回生

2019年7月19日談

山小屋フィールドノートの縁側で。夫の奥畑充幸さんと。(本人提供)

東京には欲しいものがない

 ここは山小屋ですが、自由学園で行く登山の時のような山小屋をイメージすると、ちょっと違うかもしれません。標高もそれほど高くはないし、車で目の前まで来られます。じゃあ民宿なのかというとそれも違う。山小屋らしいといえば、沢から水を引いていること。水が湧く場所にホースを突っ込み、高低差を使って運んでいるんですよ。

 

同級生の安部智穂さんに紹介され、初めてこのタイマグラに来たのは23歳の時。まさかここで結婚し、彼女と親戚になり、同じ集落に暮らすとは思ってもいませんでした。当時の私は子ども時代から憧れだった婦人之友社の編集部に入り、暮らしのプロフェッショナルの取材などをしていました。寮生活からも解き放たれ、ようやく自分の時間が始まった。でも取材ですごい人に会うたびに「自分の中から出てくるものは何もない」と感じるんです。東京の暮らしは何かが足りない。デパートに行っても欲しいものはない。何が足りないかもわからない。

 

そんな時ここに来て、暮らしの中心に薪ストーブがあり、耕せる土があり、湧水まであって「すべてが揃っている」と思いました。一緒に来た友人が帰りの新幹線で「楽しかったね。でも旅でたまに来るからいいんだよね」と言うのを聞き、「私は違う。軸足を置くのはこういう場所がいい」と思ったんです。東京は嫌いじゃないけれど、たまに楽しむくらいが自分には合っている。彼女の一言で「田舎暮らし」というキーワードがポンと浮かんできました。

来客にお茶を淹れる。「家族のように温かくもてなしたい」

長男を取り上げてくれたおばあちゃん

 夫は槍ヶ岳の肩の小屋で勤めた後、山小屋を開きたくて日本中を探し、タイマグラ集落と出会いました。戦後の開拓時代の家が10軒ほど残っていて、ここはその内の1軒。最初の半年は、まだ電気が通ってなくてランプで過ごしたそうです。昭和の最後に電気が通り、電話はもっと後になって通りました。

 

私が初めて来たのは、夫が山小屋を開いて5年たった頃。風貌から20歳くらい上のおじさんだと思っていたのですが、7歳しか違わないと知ってびっくり! 暮らしが垣間見える宿で隣のおばあちゃんとの接し方を見たり、食事に対する思いを聞いたりするうち、この人とは価値観が共有できるかなと思うようになりました。

 

結婚したのは2年後。長男はこの部屋で生んだんですよ。盛岡に産婆さんを迎えに行ってもらいましたが間に合わず、隣のおばあちゃんが取り上げてくれました。おばあちゃんはタイマグラを開拓したリーダーで、みんなが集落を下りた後も夫婦で暮らし、数年前に旦那さんが亡くなって一人暮らしでした。

 

最初の数年、私は冬が近づくたびに心細くなりました。何でも凍るので、洗濯機を回すのもひと苦労。でも、おばあちゃんの家に行き「お湯で解凍して、やっと洗濯機を回し終えたよ」と言うと、「ほう、オラ手で洗った」と言う。私にも手があるのに、洗濯機を回さなきゃと思っていた自分の頭の固さにハッとしました。寒いからこそできる保存食もいろいろ教えてもらいました。おばあちゃんは「自然に寄り添う」とか「環境にやさしく」なんて、一言も言いません。でも大事なことを知っている。一緒に過ごしたのは7年でしたが、この土地でずっと暮らしてきた人が傍にいたことはとても大きかったです。

今春高校を卒業してタイマグラに戻り、山小屋を手伝う三男の生さんと。

昨日までの他人が、今日は大切な人になる

 ここで私は3人の息子を育てましたが、同じ時期には安部さんの家や、おばあちゃんの映画(『タイマグラばあちゃん』2004年・澄川嘉彦監督)を作るために引っ越して来た澄川さんの家にも子どもがいて賑やかでした。その上、大阪から夫の両親も移住して来てくれた。こんな山の中ですが、たくさんの人の目があり子育てには恵まれた環境でした。

 

あとは、入れ代わり立ち代わり来てくれるお客さんのおかげで、子どもたちは世界の広さを感じながら育ったのではないかと思います。うちに来るお客さんには、薪ストーブを囲んで家族と一緒に食事をし、薪で焚くお風呂に入ってもらいます。シャワーもドライヤーもないわが家のルールにしばし巻き込んでしまうのですが、一緒にごはんを食べたり話をしたりする時間はとても大事です。そうすると、昨日までの他人が今日は大切な人になるんですよ。旅から帰った人の日常が、以前とはちょっと違う愛おしいものになるといい。そんな宿を目指しています。

 

だから予算や距離で検索して来る人には、期待はずれかもしれません。山の中なのでカメムシやクマが出ることもあるし、「アクティビティは何がありますか」と聞かれても「え?」となってしまうんです。「縁側でくるみ割りをしたり、一緒にお風呂を沸かしますか」と聞きますが(笑)、今の時代、お金を払って楽しませてもらうことに慣れている人が多いですよね。何もないこの場所でその人その人の楽しみ方を見つけてもらえたら嬉しいなあ、と。

「旅から帰った人の日常が、愛おしいものになるといい」

山代 陽子(やましろ ようこ)

1968年島根県生まれ。自由学園女子最高学部卒業後、婦人之友社編集部に勤務。1994年に山小屋「フィールドノート」の奥畑充幸さんと結婚。岩手県早池峰山麓にあるタイマグラ集落の住人となる。山小屋の女将をしながら3人の息子を育てた。岩手日報で週1回のコラム執筆が9年間続いている。