信じる道を走り続ける

信じる道を
走り続ける

山北 道智
Michitomo YAMAKITA

外資系金融機関

男子部 65 回生

2016年9月10日談

2015年11月、ブラジルのレースでチームのメンバーと。右端が山北さん(本人提供)

自由になるための選択

 今は外資系金融機関で、営業職として働いています。具体的には大手銀行などへ、為替や株などをはじめとする、経営に必要なデータを販売しています。この会社にきて7年目。外資系企業は社員の入れ替わりが激しく、ほとんどの人が3年ほどで転職していきますから、僕は今、社内で3番目に在職期間が長くなっています。

 

30~40代で途中入社する人が多い会社なのですが、僕の場合は23歳で金融の仕事も未経験のまま入ったので、最初の1年間はカバン持ちをしながら仕事を覚えていきました。営業ノルマはかなり厳しいですよ。一応上司と相談という形にはなっていますが、毎回ハイレベルのノルマを課せられます。

 

僕はここ数年、毎年2~3週間のまとまった休暇をとるため、短期間でノルマを達成するよう努力していました。他の人が嫌がる仕事を引き受けていると、結果的に信用を得ることができて、いい条件の取引を任せられるようになっていった。そのため短期でのノルマ達成が可能になりました。

 

金融に興味を持った原点は小学生の時です。その頃、親の仕事の都合でブラジルに住んでいたのですが、貧富の差が激しく路上生活者を日常的に目にする環境でした。その中で、「人間が本当に自由になるためには、経済的な自立が必要だ。自分は将来ちゃんと稼ぐぞ」と思ったのです。

 

その後、自由学園の最高学部1年の時に、教室の本棚にあった『敗者のゲーム』(チャールズ・エリス著)を読みました。世の中はこれから金融業界の好況が始まる、という時期で「こうすれば儲かる」というあやしい本がたくさん出ていましたが、この本には、「市場経済に偶然はない」と書かれていて驚いたことを覚えています。そして、お金の動きにこそ人間の本性が表れると感じ、金融に興味をもち、関連企業でインターンもしました。

2013年2月、チリ(パタゴニア)でのレース後に(本人提供)

アドベンチャーレースの魅力

 卒業後すぐに金融系の企業に就職したかったのですが、ちょうどリーマン・ショックの後で、募集がほとんどありませんでした。それで国内の商社に就職したものの、休みがとりにくいという理由で、1年で退職。その後、学園時代のインターンで知り合った方の紹介で、今の会社に入社しました。

 

働きながらもまとまった休みがとりたかったのは、趣味で続けているアドベンチャーレースの海外遠征のためです。このレースは、自然の中でカヤック、トレッキング、マウンテンバイクなどの種目を、男女混合チームで数日間かけて競い合うスポーツ。4人一緒にゴールすることがルールで、コースは400~700キロ、期間は長いと10日間ほどかかります。レースは過酷ですが、大自然の中に入るので、日常とのギャップが大きいのが魅力です。

 

始めるきっかけは学部2年の時。あるフリーペーパーで、アドベンチャーレースのプロチーム「イーストウィンド」が研修生を募集していることを知って、応募しました。半年間群馬で研修を受け、2007年、在学中に中国でのレースに出場しました。

 

その後も08年ポルトガル、13年パタゴニア、コスタリカ、15年ブラジル、16年チリと、同じチームで出場してきました。特に印象的だったのはパタゴニアです。最初に道のない山や谷を磁石と地図だけを頼りに4日間かけて越えたのですが、民家をはじめ、人工物が一切目に入らなかった。日常生活ではなかなかできない経験です。

 

レースのためのトレーニングは、通勤をランニングでして、多い時で月800キロ走っていました。チームメンバーは4人で、40代の男性リーダーと30代の男性、20代の女性と僕という構成です。メンバーの性格はそれぞれ違い、合わない人とは合いませんが、無理に折り合いをつけようとはせず、淡々と前進し続ける感じです。

 

それは仕事でも同じで、上司の態度が変わることはよくあるし、かといってお客様に迷惑はかけられない。板ばさみの中でなんとか問題を解決していくのと似ている部分があると思います。

2016年、マウンテンバイクでパタゴニアを力走する(本人提供)

お金に振り回されず

 いくつものレースに出てきましたが、今後はこのチームで出場することはないと思います。というのも、今年の秋から四国にある地元の銀行に転職するからです。

 

外資系企業は、給料は確かにいい。小さい頃の経験から、お金が大事だと思ってはいますが、同時にそれに振り回されてはいけない、稼ぐことだけが働く目的になってはいけないと考えていました。また、20代のほとんどを外資系で働いてきたので、30代は地元に力を出したいと思ったのも転職の理由です。

 

小さい頃香川に住んでいたこともあり、四国はなじみ深い場所です。以前から、東京一極集中を何とかしたいとも思っていました。このタイミングを選んだのは、長男が来年度幼稚園入園だから、というのもあります。結婚する時から、妻にはいつか地方に行きたいと伝えてあったので、納得してくれました。状況は変わりますが、これからも信じる道を走り続けたいと思っています。

山北 道智(やまきた みちとも)

1987年生まれ。2009年3月自由学園最高学部卒業。同年4月神鋼商事入社。10年マークイットグループ日本株式会社入社、営業部に配属。13年アシスタントバイスプレジデント、14年バイスプレジデントへ昇進。16年10月より四国にある地方銀行へ。趣味のアドベンチャーレースでは、2007年より世界各国での試合に出場している。