世界で勝負できる人材を育てる

世界で勝負できる
人材を育てる

牛島 仁
Jin USHIJIMA

資生堂 人事部 人材・組織開発室室長

1990年 男子部高等科修了

2019年12月20日談

資生堂本社にて

国内だけで勝負する時代ではない

 2019年1月に資生堂に来て1年余りがたちました。今まで働いてきた3つの会社は、すべて外資でアルファベットの社名だったので、漢字の名前は初めてなんですよ(笑)。

 

資生堂は、現在世界120か国で展開しており、社員約4万6千人。業界では国内1位、世界7位くらいです。商品やサービスはグローバル化する一方で、今まで国内中心でやってきたため、組織のグローバル化は追いついていません。そこで、世界で勝負できる人材を育てるため、人材・組織開発室という新しい部署の室長としてここに来ました。

 

その直前までは、GE(ゼネラル・エレクトリック)のクロトンビルにいました。クロトンビルは、ジャック・ウェルチ(*1)が肝いりで活用したリーダーシップ教育の組織。僕はそこで、日本やアジアのリーダー育成を担当していました。

 

GEの前にいたのはDHLで、ドイツ本社でも働きました。47万人いる従業員のトップ約200人のエグゼクティブ開発に携わっていました。当然、プライドの高いドイツ人やアメリカ人に「アジアの小僧が何しに来た?」と思われたりする。非常にしんどかったけれどやりがいがありました。DHLはインターナショナルな会社。チームメンバーも多国籍で、日本人は僕だけ。多様な文化の中で働ける環境でした。

 

さらに遡ると、最初の就職はAIG(アメリカンインターナショナルグループ)でした。ニューヨーク本社に入社し、実際働いていたのは日本です。採用から給与制度の仕組みづくり、組合対応など人事全般で8年働き、最後は人事課長を務めました。

 

(*1)ジャック・ウェルチ:1981~2001年にGE会長兼CEOを務め、その経営手腕から伝説の経営者と呼ばれた。

GEクロトンビル時代の同僚と(本人提供)

父の問いかけで人生が変わった

 海外に興味を持ったのは高等科の頃。僕は双子で、小学5年の時から夏休みには二人でアジア自然塾のキャンプに行っていました。中学からは一人で行くようになり、高3まで毎年参加。岩村昇(*2)先生にネパールの話を聞いたり、アフガニスタンで鍼灸の活動をする方の記事を読んだりして、鍼灸師になりたいと思っていたんです。

 

そのことを父に話すと、「南北問題や貧困問題がなぜ起きるか知っているか。もう少しマクロで考えたらどうだ」と一蹴されました。同じタイミングで、東京都の高校生国際プログラムに参加し、プリンストン大学へ。国際的な仕事をするならアメリカ留学だ、と思いました。

 

最高学部ではネパールの植林で出会った、現地リーダーのラジャとベストフレンドになり、その後彼とは学部寮で一緒に生活しました。留学前、外国人であっても心は通じ合えると思えたのは心強い経験でした。

 

学部を中退し、ウィスコンシン州にあるローレンス大学へ編入。政治を専攻しました。最初は授業の半分が聞き取れず、ノートを借りたりして必死で勉強しましたね。その後はニューヨークのコロンビア教育大学大学院で、国際教育開発を専攻し、産業組織心理学などの人的資源管理学を学びました。

 

大学で政治を学んだのに、大学院で教育開発に変更したのは、NGOの活動で「この人がやるとうまくいく」とか「あいつは暗いけど金勘定はすごい」など、リーダーシップや適材適所の効果を目の当たりにしたからです。人と組織について学びたかった。

 

本当は、国連などの国際機関で働くつもりでした。学園でネパールの植林、JICA(国際協力機構)のプログラム、アメリカでもボランティアを経験しました。そこで感じたのは心根のよい人が集まっているのに、ビジネス的な面が弱いこと。さらに国連で働く日本人からは「最初からここに来てはダメ。民間から来る人はいても、逆はいない」と言われ、民間企業に行くことにしました。

 

(*2)岩村昇:医師。ネパールの無医村で18年に渡り医療に取り組み「ネパールの赤ひげ」と呼ばれる。アジアのノーベル賞平和賞といわれるマグサイサイ賞を受賞。

資生堂ヨーロッパ人事チームの同僚と(本人提供)

異質なものにたくさん触れること

 帰国して就職活動をしている時も、「人事がやりたい」と訴え続けました。外資ばかりを受けたのですが、当時は職種別採用もなく何十社も断られ、最終的にAIGに拾ってもらったんです。あの頃、自分が日本の企業で人材開発をするなど考えてもいなかった。キャリア理論でクランボルツは「好奇心・持続性・楽観性・柔軟性・冒険心の5つを持てば良い偶然に出会える」と言っていますが、それを確かに感じます。僕自身、出会いやチャンスに生かされました。

 

若い時には、とにかく異質な人やものにたくさん触れることだと思います。そうすれば「なんだ、自分はこんなに視野が狭かったのか」とわかるから。

 

今は、どうやったら日本人の持つ良さを、グローバルに展開していけるか考えています。欧米人のショーマンシップは学ばなければなりませんが、日本人には日本人の強みがあります。静かな自信や泰然とした気質。資生堂の創業者である福原有信、息子の信三は、いわゆる和魂洋才の精神を持つ人でした。アートとサイエンスにこだわり、ヨーロッパの人の心をとらえていた。これからの時代は、人や自然と調和して生きること、内側からきれいになる日本的な美に、ヒントがあるのではないかと思っています。

出会いやチャンスに生かされてここにいる

牛島 仁(うしじま じん)

1972年生まれ。自由学園男子最高学部中退。アメリカのローレンス大学卒業、コロンビア教育大学大学院修了。AIGで人事部門、DHLとGEでは人材開発教育部門で働き、2019年1月より資生堂で勤務。