純米酒と燗酒の魅力を世界に届ける

純米酒と燗酒の魅力を
世界に届ける

梅津 史雅
Fuminori UMETSU

梅津酒造6代目蔵元

男子部 70 回生

2020年7月10日談:オンライン

蔵を代表する酒「富玲」を手に。戦前にアメリカ留学した3代目が、声援のかけ声「フレー、フレー!」から名付けた。

純米酒こそ日本酒である

 昨年修業先から鳥取に戻り、父から蔵元を受け継ぎました。まだまだ身に余るような役目なのですが、現在は父が製造部長として酒造りに責任を持ち、僕は販売に重点を置くという分担をしています。小さな酒蔵なので、社員は3名。他は家族での経営です。

 

日本酒というのは大きく分けると、お米と水だけで造る「純米酒」と、そこへエチルアルコールを添加した「アルコール添加酒」の2つがあります。中でも梅津酒造は、純米酒だけを造る蔵で、「米と水で造った酒こそが日本酒である」と考えています。

 

日本酒は、年々消費量が下がっているのが現状です。今はまだワインより日本酒の方が多いのですが、いずれ逆転するだろうと言われます。数字の内容を見ると、純米酒は横ばいで、アルコール添加のお酒が徐々に下降している。しかし日本酒全体の中で純米酒の比率は1、2割程度。その他は、アルコール添加酒なんです。

 

戦前までの日本酒は、基本的に純米酒でした。それが戦中の米不足によって、アルコールの添加で量を増やす国の施策がなされ、酒不足を補いました。今は添加することで風味がよくなる部分もあり、技術の一つとしての捉え方もあります。しかし、日本酒を飲むと頭がズキズキするのは、アルコール添加酒を飲み過ぎた時に起きると僕は思っています。科学的証明はなされていませんが、多くの方から聞く体験で実証されています。日本酒は翌日残る、頭が痛い、だから飲まなくなった。そんな経験がある人も多いのではないでしょうか。ですから、一人でも多くの方に、純米酒という存在を知って選んでほしいと思うのです。

 

梅津酒造では平成17年に、全てを純米酒にしました。うちの純米酒を飲んで、日本酒をたしなむようになったというお客様も多いんです。

酒造期は10~3月の冬期。タンクの中で麹、蒸し米、水を入れて混ぜ、発酵させていく。

酒蔵と酒屋で5年間の濃い修業

梅津酒造の始まりは慶応元年、僕は6代目になります。家業を継ごうと決めたのは学部3年のとき。誰もがなれるものではないと早くに腹をくくり、卒業後すぐに修業に入りました。お世話になったのは埼玉の神亀酒造。戦後初めて、製造を全て純米酒にした蔵であり、その社長を父が蔵元として尊敬していました。

 

酒造りは10月末に始まって3、4月まで続きます。その間は正月以外休みなく、朝3時半から夕方5時まで働きっぱなし。杜氏の下に蔵人が7人くらいいて、そこに何も知らない新入りの僕が入った。たとえて言えば、6年生しかいない東天寮に1年生が一人で入った感じです。要領は悪いしミスばかりするし、修業中叱られなかった日は一日もありませんでした。

 

でも今振り返ると、とてつもなく大きな愛情だったと思います。それだけ「こいつを何とかしないと」と思われていた。5年目にはようやく褒められることも増えました。今はそんな先輩方に「言い続けてよかった」と思ってもらいたい、というのが力になっています。

 

酒造りが終わると10月までの半年は休みなので、その間は築地の酒販店で修業をし、売り手や飲み手を間近で見ることで酒業界の流れを学びました。それを半年ずつ5年間繰り返し、その間に同級生と結婚もしました。非常に濃い修業期間でした。

5代目の父雅典さん(男子部 38 回生)は、現在製造部長。

燗酒がある場は雰囲気も温かい

 うちの純米酒は、お燗にして飲むのをお勧めしています。日本酒には冷やして美味しいものもありますが、うちのお酒はお燗にすると旨味が際立って、幅広い料理を引き立てます。口中調味と言って、料理と燗酒が口の中で重なることで、美味しさを増幅してくれるのです。

 

純米酒やお燗酒の認識は、世間でもまだまだ浸透していません。そのため、うちのお酒の特徴を知って丁寧に説明してくれる酒屋さんと、信頼関係を作って取引したいと考えています。先日は、オンラインで「お燗酒講座」を開きました。燗酒を広めている岡山の酒屋さん、燗酒のファシリテーターをしている義兄、僕の三者で開催。事前にうちのお酒を郵送し、やり方をレクチャーしながら、それぞれが家でお燗をつけました。参加者からは、燗酒がとても身近になったと言われ、大成功でした。

 

海外にも行っていて、一番交流があるのはフランスです。現地で日本酒講座を開いてチーズと燗酒を楽しんでもらいますが、口中調味を体験するとその相性にみんな驚くんですよ。そしてこれは僕の感覚ですが、燗酒がある場は雰囲気も温かい。以前、蔵人体験に来たフランス人ソムリエが「燗酒はハッピーな気持ちになる」と言っていたのがとても心に残っています。

 

今は日本酒になじみのない人も多くいます。だからこそ燗酒が受け入れやすい面もある。この文化と蔵を次の代へ残していくことが、僕の使命です。今までは、県外の方たちに向けて発信することが多かったのですが、これからはより地域に根差し、「鳥取に梅津酒造あり」と地元の誇りになっていきたいと思います。

「地元に戻って11か月。家族、酒屋さんなど周囲の人に助けられることばかりです」

梅津 史雅(うめつ ふみのり)

1992年鳥取県生まれ。自由学園最高学部卒業後、埼玉・蓮田の神亀酒造、東京・築地の勝鬨酒販で半年ずつ、5年間の修業を積む。2019年鳥取に戻り、家業を継いだ。