日常的な食材だからこそ「おいしいネギ」を届けたい

日常的な食材だからこそ
「おいしいネギ」を届けたい

辻村 祐
Yu TSUJIMURA

ネギ農家

男子部 61 回生

2021年3月19日談:オンライン

数多あるネギの中から、自分のネギを選んでもらいたい

父の畑で収穫された野菜を喜ぶ母の笑顔

 北海道で農業がやりたい。それが僕の夢でした。初等部のころ、父の趣味だった畑仕事を毎週手伝っていたんです。3人兄弟でしたが、ずっと手伝いを続けていたのは僕だけ。父は畑仕事が終わると必ずアイスを買ってくれました。お昼をはさむときには地元の中華料理屋に寄ったりもして、そういった時間がとても楽しい思い出だったんです。そして畑で収穫したものを持って帰ると母に喜んでもらえる。僕が農業を志した根本は、その時間にあります。

 

高等科1年の時、母が亡くなり、家の中が暗い雰囲気になりました。それが苦しかったので、自転車旅行で日本を回る趣味を見つけました。元々インドア派だし、人と積極的に交流するのは苦手でしたが、自転車旅行だったら根性さえあればなんとかなると思っていました。そうして高等科2年のときに北海道に行ったのが最初で、それから最高学部を卒業するまでに5回、北海道に行きました。高等科3年のときには稚内から京都まで、学部1年のときには函館から門司まで。学部2年では鹿児島の佐多岬から北海道の宗谷岬までを縦断して、知床や釧路を回ったりもしました。

 

当時は、今ではあまり考えられませんが、野宿したり道の駅の軒先で寝泊まりさせてもらったりしていました。施設の人が朝ごはんをご馳走してくれたりして、旅先で偶然出会った人とのコミュニケーションの楽しさを知ったのも自転車旅行でした。

「トラクターの運転は楽しいです」

自立したいと願うも、挫折の連続だった

 父は自由学園の教員でしたので、息子としてはあまり目立ちたくもないし、悪さもできない。静かに低空飛行でいました。ずっと自由学園で育ってきたということもあって、卒業後の道は学園関係者を頼らず、自力で切り拓いて、早く自立したいと思っていました。そこで東京で開催されていた農業人フェアに通ったり、全国の農業法人が掲載された雑誌を見たりして、めぼしい研修先を探し、学部4年の夏に北海道で受け入れ先を見つけることができました。

 

研修は楽しかったのですが、結局社員になることはできず、失意のうちに帰京。そのあとも色々なところで働きましたが、決して順調な道のりではありませんでした。無農薬有機栽培をやっている農園では、コストが非常にかかることもあって経済的に苦しく、その次に就職した茨城県の大規模農業法人では、生産から加工・販売、イベントの実施まで多岐にわたる仕事があり、非常に要求水準が高かった。

 

結局、妻の後押しもあって、会社を辞めて地元に戻ることに。埼玉県日高市に家を買ってそこに根を下ろすことを決めました。一旦は農業を諦め、3年ほど製粉会社に勤めましたが、性には合いませんでした。その後、たまたま縁を得た花き農家で働くことができたのですが、非常に繊細な花のお世話で休みがなく、自分の希望である畑仕事もできなかったので、5年間勤めたところで辞め、いよいよ自分でやろうと考え、日高市に相談することにしました。

挫折を乗り越え、妻と二人で夢を叶えた

妻の支えによって、農家として歩み始めた

 ただ、農業を始めるのは色々と資格や手続きも必要ということを知り、結局は後継者不足の農家に行くことになったのですが、様々な理不尽から1ヵ月で辞めることになりました。人間不信になった僕を支えてくれたのは、やはり妻でした。同じ農業人でもある妻は、「遠くで気分転換するのもいいと思う。結婚してから10年間ちゃんと働いてきたから、1年間休んでいい。仕事はしてもらうけど、自由にしていい」と言ってくれました。そこで夏の4ヵ月間、誰も知らないところへ行こうと、立山のリゾート地で住み込みのアルバイトをしていました。そのうちに気持ちもリフレッシュされ、もう一度農業に向き合えるようになったのです。

 

それまでの経験が認められ、なんとか日高市内で農業の模擬経営ができるようになりました。近くで体調を悪くされた農家の方が指導農家となり、自分がその方に代わって畑を耕して、良い関係を構築することができました。最終的にはその方の事業を承継する形で、現在の農園を開くことができたのです。独立してからはほぼ休みなく働いていますが、何の苦もなく、すごく楽しい毎日です。ネギは見えている部分がすべて可食部なので、成長が目に見えてわかるという魅力もあります。

 

ネギ専門農家になったのは、その経済性と安定性が重要だからです。ネギはその需要の高さから安定供給が要となるので、味よりも量に重きを置いていることが多く、丈夫な品種だとか、機械での作りやすさが重視されやすい野菜です。日常的に食べられているものだからこそ、「おいしいネギ」を作りたい。実は僕はネギが嫌いなのですが、だからこそ味について自己満足に陥ることはありません。数多あるネギの中から、僕の作るネギがいいと言ってもらいたい。まずは身近な人においしいと言って喜んでもらいたいんです。昔、収穫した野菜を母が喜んでくれたように。

辻村 祐(つじむら ゆう)

1983年生まれ。初等部より自由学園に学ぶ。2005年、最高学部卒業。北海道の大規模農業法人での研修の後に帰郷。10カ所以上の農業法人等での勤務を経て、2020年に埼玉県日高市で妻と2人でつじむら農園を開業。1年目にして大手飲食店チェーンへの食材提供を行うなど、「おいしいネギ」づくりに、夫婦二人三脚で邁進中。