高橋 めぐみ
Megumi TAKAHASHI
日本ブラインドサッカー協会
女子部 91 回生
2020年03月20日談
日本ブラインドサッカー協会の事務所で
見えていないのに、すごい!
ブラインドサッカーのボールは、転がるとシャカシャカ音が出ます。フィールドにいる4人のプレイヤーは、全員アイマスクをつけた視覚障害者。キーパーは目の見える人で、その他にも、フェンス中央外側にはチームを指揮する監督が、相手ゴールの裏側にはピッチの情報を伝えるガイド(コーラー)がいます。視覚障害者と健常者が対等に協力し合うスポーツなんですよ。
私は今、日本ブラインドサッカー協会の事業戦略部で、チケット販売やキャラクター制作、SNSの発信など幅広く担当しています。障害者スポーツの大会ではではまだ少ないのですが、日本代表が出場する国際大会などはチケットが有料です。お金を払って期待されると、運営もレベルアップする。透明フェンスなど座席を工夫することで、完売する大会も出てきました。
私がインターンとしてここに関わり始めたのは、チケット有料化を開始した2014年。当時関心を持っていた「サッカー、障害、バイト」という3つのワードで検索をしたら、協会のスタッフ募集にヒットした。これは自分にぴったりだと思ったんです。
実はそれまで、ブラインドサッカーは見たことがありませんでした。その大会で初めてブラジルの試合を観戦。見えていないのにパスがつながり、足に吸いつくようなドリブルや、ゴールが決まるのを目の当たりにして、ただただすごい!と圧倒されました。
クラブチーム「free bird mejirodai」のガイドとしても活躍する(写真提供:日本ブラインドサッカー協会/鰐部春雄)
デンマークで体験したみんなが混ざり合う社会
学部2年のとき、盲学校でバイトをしたことがありました。週に一度、寄宿舎に泊まって生徒たちと過ごすのです。洋服を選ぶとき「かわいい?」と聞かれて「かわいいよ」と答えたり、勉強を教えたり、年齢もあまり変わらないので恋バナもよくしました。障害への偏見はないと思っていましたが、彼女たちが普通に生活していることに驚いたし、驚いている自分にも驚いた。印象的な出来事でした。
同じ時期、植林活動でネパールへ。日本よりモノの豊かさはないのに幸せそうで、もっと海外を見たいと思ったとき、ギャップイヤー制度ができました。制度を利用してまた海外に行きたい。当時考えたのは、盲学校の子たちのことです。視覚障害者向けのグッズはかわいいものがないので、福祉やデザインが進んだ北欧で勉強したいと思いました。
調べてたどり着いたのが、デンマークのエグモント・フォルケホイスコーレです。18歳以上が通う、大学でも専門学校でもない学校で、障害者と健常者が半々。授業はみんな一緒で、何でも選択できます。頚椎損傷で首から下が動かない2歳上の日本人女性のヘルプをしたり、デンマーク語が全然わからない自分が言語障害者のような状況になったり、さまざまな経験をしました。
体育も一緒にするのですが、参加できない人がいると先生が「◎◎が参加できるよう、ルールを変えてよ」と言って、みんなで考えるんです。私がいるときはかけ声を英語にしてもらいました。ルールをちょっと変えれば、スポーツは誰でも楽しめる。すごいなあと思いました。
その後通ったもう一つの学校は、アフガニスタンやソマリアなど難民の人が多くいました。文化の違いは、障害以上の異世界です。でも人種、障害、いろいろな人が混ざっているほうが面白い。その価値が広まるようなことがしたいと思うようになりました。
「free bird mejirodai」は2019年日本選手権で準優勝(写真提供:日本ブラインドサッカー協会/鰐部春雄)
ピッチの上は本当に自由
1年後に帰国して学部に戻り、この協会でバイトを始めました。「視覚障害者と健常者が混ざり合う社会を実現する」という協会のビジョンは、私が考えていたことに近かったので、いいなと思ってインターンで働くようになり、卒業後は正式に雇ってもらいました。
職員になり競技についてもっと知りたいと思っていた時、インターンの同期がクラブチームを立ち上げると聞いて参加。ガイドを担当することになりました。私も含め選手は未経験者ばかりでしたが、若いチームなので伸びしろがすごくてどんどん強くなり、今は東日本リーグで優勝するほどになっています。
チームの選手たちとは、ごはんを食べに行ったり、一緒に買い物に行ったりして距離が近くなり、いい関係を築けています。自分自身が競技者となってから、ブラサカが好きという気持ちがより強くなりました。今はコロナで試合が中止になっていますが、基本的には月火水木金土日、仕事も趣味もずっとブラサカです(笑)。
今後は、この競技をもっと子どもたちに広めたい。盲学校では危ないという理由で取り入れられていません。そのため選手育成が難しいんです。でも、チームスポーツってみんなで協力し合えるところがすごくいいと思う。視覚障害者は自由を失って生活している人が多いのですが、ピッチの上は本当に自由です。健常者とも意見を交わし合い、選手同士として対等に付き合えます。
ブラインドサッカーを通じて、障害者と健常者、お互いの世界が広がってほしい。そのために力を尽くしたいと思っています。
「ブラインドサッカーを多くの人に知ってほしい」
高橋 めぐみ(たかはし めぐみ)
1992年東京都生まれ。自由学園最高学部2年時にギャップイヤー研修で、デンマークの成人教育機関エグモント・フォルケホイスコーレなどで学ぶ。帰国後、学部3年に復学すると同時に日本ブラインドサッカー協会のインターンに。卒業後、正式な職員として入社。経理や人事労務などの部署を経て、現職。クラブチーム「free bird mejirodai」の代表も務める。