生まれてきたことのすごさを伝えたい

生まれてきたことの
すごさを伝えたい

齋藤 綾乃
Ayano SAITO

助産師

女子部 76 回生

2019年3月1日談

聖母病院の助産師外来で。

生命の勢いを受けとめる

 助産師というのは、分娩介助と授乳のケアが専門というイメージがあるかもしれませんが、女性と家族の一生に関わっていく仕事です。助産師は看護師でもあるので、両方の国家資格を持っています。

 

私が医療の仕事に興味を持った原点は、自分自身が先天性の疾患を持っていたため、幼少期から病院に通っていたこと。自由学園を卒業後、看護師になるために3年勉強をした後、助産師になりたいと思ってそのまま1年間の専攻コースに進みました。従姉が妊娠出産子育てを経験する中で、母親として変化していく様子を目の当たりにしたのも大きかったです。

 

生まれてくるときの赤ちゃんの勢いって、すごいんですよ。その勢いを受けとめ、お母さんにとって安心安全なお産を支えていくのが助産技術です。学生時代の実習はとても厳しかったのですが、生命の力を感じられるお産が私は大好きでした。

 

ただ、元気に生まれてくる子がいる一方で、亡くなる子もいます。たとえば平成28年には全国で98万人近くの子どもが生まれましたが、1万人以上の赤ちゃんが死産だったという統計が出ています。死産とはお母さんのお腹の中で赤ちゃんが亡くなることをいいますが、突然で原因がわからないことがほとんどです。助産師になったばかりのころは、亡くなった子やお母さんやご家族の気持ちを思い、その現実が悲しくて押しつぶされそうになりました。

 

でも、亡くなった子にも生きていた時間が確かにあったことをその姿から教えられ、お母さんやご家族からもたくさんのことを学び、自分の助産師観に影響していきました。

保健センターでの乳幼児相談(本人提供)

発達障害の息子と向き合って

 この10年ほどは私自身が子育て中なので、その中でできる仕事をいくつかの職場でしています。聖母病院では助産師外来や病棟で産前産後のケアを、行政では赤ちゃん訪問、乳児健診、養育支援事業に関わるなど、非常勤で働いています。

 

子育てをする前の私は「もっと完璧に仕事をしなきゃいけない」とか、自由学園で教わった「よいことは必ずできる」という思いにとらわれていました。素敵な先輩や同僚と働いていたので、自分自身に求める理想も高かったのだと思います。また、明るくて頑張り屋という自分の外側のイメージと内面とのギャップにも苦しみ、思うようにできない自分に落ち込んだりがっかりしたりしていました。

 

出産後1年間は仕事をやめて、子どもと向き合って過ごしました。子どもを通して社会と関わると、思うようにならないことばかりです。長男に発達障害があるとわかり、幼い彼と向き合っていく中で、いくら私が頑張ってもできないことがあると実感しました。そして「できないことは仕方ない。できるときにできることを、できるタイミングでしていこう」と肩の力を抜いたら、困っていた長男の気持ちに近づくことができた気がしました。

 

発達障害の子と向き合う時は、子どもを自分の枠にはめるのではなく、その子がわかるように話したり示したりすることが大事です。悩みながらわが子と向き合ってきたことは、助産師の多くが大切にしている「相手に寄り添う」ことにもつながり、日々の仕事にも生かされています。

助産師は、女性と家族の一生に関わる仕事。

いのちと自分自身を大事にしてほしい

 今は、埼玉県内の保健センターで母子保健事業にも携わっています。妊娠したお母さんは、日々大きくなっていくお腹の赤ちゃんを感じながらさまざまな思いを持ちます。喜びよりも不安が大きくなる人もいますが、それは決して特別ではありません。私たちはその気持ちに寄り添い、お母さんが孤立してしまう「孤育て」にならないよう、チームで支援していきます。

 

私は医療従事者ではありますが、患者でもあり、発達がでこぼこした子どもの母でもある。私自身が感じてきた苦しみや悲しみ、そして喜びが、地域の仕事で人と関わる時もさまざまな気づきへとつながっています。

 

長男を育てながら、「できないことは助けてもらえばよい。自然に助けてくれる環境にいられるよう支えよう。そういう社会をつくる一人に私もなりたい」と考えてきました。すばらしい専門家の方たちとの出会いがあり、私の話がきっかけで、助産師の先輩が発達障害事業所を立ち上げ、私もそこに関わりました。他にも、小学校や養護施設のいのちの教育に関わるなど、最近は仕事内容が広がっています。私自身は小さな力しかないけれど、仲間と共に学び考え行動していくことが、母子を支え寄り添うことにつながる。助産師ができることは多岐にわたると感じています。

 

どんな生まれ方をしても、どんな環境で育っても、その子自身が生まれてきたことに変わりありません。生まれるってすごいことなんです。だからいのちを大事にしてほしいし、自分自身がこの世でたった一人しかいない大切な人だと知ってほしい。これからも助産師という仕事を通して、いろいろなことに関わっていけたらと思っています。

齋藤 綾乃(さいとう・あやの)

1977年生まれ。自由学園女子最高学部卒業後、聖母女子短期大学看護科、助産学専攻科で学び、看護師と助産師の資格を取得。東京新宿区の聖母病院で助産師として働き、出産を機に退職。1年後に行政で仕事を再開。現在は聖母病院の周産期病棟勤務、保健センターでの赤ちゃん訪問、乳児健診などに携わる。