矛盾のない生き方を選ぶ

矛盾のない
生き方を選ぶ

禰寝 碧海
Marin NEJIME

ギター製作者

男子部 65 回生

2016年10月15日談

表面板裏に接着したサウンドホールの補強材に溝を掘る

木の性格を見きわめる

 6年前からクラシックギターの製作と修理の仕事をしています。ギターはこれまでに30本近く作ってきました。機械を使わず、全部ハンドメイドなので2本同時に作って2カ月くらいかかります。1本よりも、2本一緒につくるほうが、効率がいいんです。

 

ただ、僕はまだ手が遅いのと、間に修理の仕事なども入るため、作れるのは年間6本ほどですね。自宅に工房が併設されていて、毎日起きて、作って、寝て、という感じです。だいたい9時頃から作業を始め、遅いときは夜の12時頃まで作っている時もあります。

 

もともと父親がギター製作者で、学園を卒業して1年たった頃弟子入りしました。最初に覚えたのは塗装です。父が昔作ったギターの塗装をはがして、塗り直しました。5本くらい練習で塗り、塗装が十分にできるようになってから、やっと木の部分の作業に入りました。

 

木は自然物なので、一つとして同じものはなく、木目の流れや構造などを見きわめて削りや貼りをしていきます。最初に「こういう音にしたい」と思って試行錯誤しながら作り、その音質に近い音が出た時はとても嬉しいですね。機械で木部を一定の厚みにしても、ある程度の音質は得られますが、木のそれぞれの性格を見て、それに合わせて作ると、よりよい音が出せる。これは手仕事でこそ得られるものだと思います。

 

しかし、「今回は完璧なものができた」と思うことは、まずありません。もちろん全力は尽くしますが、毎回「次はこうしたい」と思う部分が出て来るので、また工夫しながら作ります。その繰り返しです。

 

1本目の楽器が完成したのは2011年でした。そのギターだけはまだ売っていませんが、2本目からは楽器店に卸して、販売しています。自分の作ったものに対して値段が付くというのは、初めはとても不思議で、自分がどれだけの仕事をすれば値段に見合うものになるのか想像がつかず、責任と重圧を感じていました。どういう方が買ってくださっているのかは、詮索はしません。楽器は作って世に送り出したら、自分の手を離れていく。子離れのような感じでしょうか。

お客様から預かった楽器の裏板の塗装修理

スペインのマエストロ

 2012年に、父のマエストロ(師匠)でもあるアントニオ・マリン・モンテロ氏に師事するため、スペインに3カ月滞在しました。ちなみに僕の名前は、この方の名からいただいています。工房では、最初の1週間は作業を横で見ているだけ。その後、少しずつ仕事をさせてもらえるようになりました。

 

マエストロは、ギター作りで毎回同じことは絶対にしません。常に変えていくんです。木の削り具合や、角の処理、内部に貼る板の位置など、常によりよい音を求めて試行錯誤していました。変えていくことは結構勇気がいるのですが、その姿勢は崩さない。父の工房ではマエストロの製作工程を引き継いでいますが、スペインで「うちではこうやっている」と言うと「まだそんなことをやっているのか」と言われたくらいです。

 

また、教えるときは「こうしなさい」とは言わず、「たとえば自分はこうするけれど」と言って見せてくれます。でも最終的には「自分の思うやり方でやりなさい」と。木部に紙やすりをどの程度までかけるかとか、いろいろな部位の高さも「ここでいいな」と思う感覚は人によって違うので、「これだ」と思う方法を自分で探していくしかないのでしょう。彼の考え方、あり方は、仕事をしていく上でとても大事なことを教えてくれました。

サウンドホールの周りの飾りとして埋め込むロゼッタのピースと図面

人と離れた生活がしたかった

 僕はお金が嫌いなので、学生時代は社会から独立した生活、たとえて言うならば、山籠もりをするような生活が理想でした。ですが、人間社会で生きている以上は、お金を切り離すことはできません。

 

人間もあまり好きではない。矛盾や建前が多いからです。その結果、学部に進学してからも、人間とお金という概念が生み出す疑問を棚上げして先に進むことはできませんでした。しかしそれは途方もない問答だったので卒業後の進路を就職活動に求めず、フリーターになりました。自分の生き方をどうすれば矛盾させずにすむか考えたかったのです。

 

自分の思うように生きられて、なおかつ人間としての生活がきちんとできるものは何か。1年間考えに考えてたどり着いたのが、父の仕事であるギター製作でした。

 

当時一人暮らしをしていたので、父には電話で「弟子入りさせてほしい」と言いました。父は特に理由も聞かずに「ああ、じゃあ頑張れ」と。僕はもともと手先が器用ではないので、不安はありました。でも、とにかくできるまでやるしかないと思ってスタートし、今に至ります。

 

自営業は、生活全部が仕事で、休みも自分ではとっていません。でも、楽器を作っている時間が一番気晴らしになります。誰にも雇われない仕事というのは一見すると自由ですが、そのすべてに責任が伴います。学園にいた頃から考えていた自由と責任というテーマは、今も仕事をする上での基盤になっています。

禰寝 碧海(ねじめ まりん)

1986年生まれ。2009年自由学園最高学部卒業後、1年間は音楽をしながらアルバイトをし、その後の生き方を模索する。10年に父である禰寝孝次郎に師事、クラシックギターの製作を始める。12年スペインのグラナダに滞在し、父の師匠でもあるアントニオ・マリン・モンテロ氏に師事。帰国後は、ギター製作の傍ら東京のギターショップアウラにて週1回リペア(修理)スタッフとして勤務。