奈良島 道子
Michiko NARASHIMA
博報堂DYホールディングス
女子部 64 回生
2019年8月24日談
博報堂DYホールディングスにて。
常識を知らぬまま、いきなり広告会社へ
この春、博報堂本社から博報堂DYホールディングスへ出向しました。博報堂は出版広告取次店として120年余り前に創業。2003年には博報堂、大広、読売広告社の3社が経営統合し、共同の持ち株会社として博報堂DYホールディングスができました。
私が入社したのは、男女雇用機会均等法施行入社組の前年。自由学園在学中は「卒業したら童話を書きたい」と夢見ていましたが、学園の卒業生だった父に「まずは社会に出てみろ」と言われて博報堂を紹介され、入社試験を受けました。私はテレビに詳しくなく、流行とはほど遠いタイプなので、就職が決まった時にはクラスメイトにびっくりされたことを覚えています。業界研究もせず常識も知らないまま入ったので、20代は社内で右往左往。そのドタバタぶりは今も同期の間で語り草です。
最初に配属されたのは経理部。これは今でもありがたいことだったと思います。なぜなら経理は企業の根幹だから。クライアントに請求書を出す部署、マスコミや制作会社へ支払いをする部署などで8年働き、さまざまなお金の流れや書類作り、源泉徴収票の集計などに携わりました。
経理部にいた24歳のころ、通勤前に自宅で撮影。(本人提供)
怒涛の下積み営業時代
入社6年目には短大採用がなくなる前提で、一般職で入社した短大卒社員にも総合職の道が開かれ、私も試験を受けて総合職に。その後28歳で結婚したのですが、新婚旅行から戻った直後、営業部への辞令が出ました。
経理でずっとやっていこうと思っていた自分が、まさか営業になるとは! 広告会社の営業はハードで女性も少ないため迷いましたが、やれるだけやってみようと異動しました。
担当したのは、製薬会社や不動産会社などです。クライアントの宣伝部との交渉、テレビ番組の販売、CM制作の立ち合いなど、28歳の新人営業として走り回りました。失敗もあります。たとえば、製薬会社のキャラクターであるタレントが昼の生番組に出演する時、製薬会社のグッズを博報堂の紙袋に詰めて楽屋に届けました。バックサイトで生放送を見ていたら、タレントがその紙袋を持ってスタジオに登場しています。「しまった! 製薬会社の袋に入れて行けばよかった」と思いました。
テレビにはチラッとしか映りませんが、見る人が見ればわかる。プロフェッショナルかどうかの差は気遣いに表れます。自分の足で歩き、相手と顔をつき合わせ、気を遣うことで仕事のセンスが磨かれていくのです。
経験がないことばかりだったので、とにかく上の人について印刷所やデザイン会社に足を運び、CMなどのロケにもすべて立ち合いました。仕事や打ち合わせが終わって社に戻り、事務ワークが終わるともう終電。朝帰りになることもたびたびでした。 「華やかな仕事でいいわね」と言われることもありましたが、華やかなのはほんの一部。9割は白鳥が水面下で必死に足を動かすように、地味でバタバタしています。がむしゃらに働きすぎて体調を壊しかけ、2年後に内勤を希望して再び一般職に戻りました。
博報堂グループに勤務する(OB含む)自由学園卒業生メンバーと。(本人提供)
女性の働き方が激変した30年
男女雇用機会均等法以降、女性の働き方はガラリと変わりました。入社当時は寿退社が当たり前でしたが、今はさまざまな形で働き続けられ、抜擢される人が増えているのはとてもいいことだと思います。私は夫の両親との2世帯同居もあって転勤のある総合職から離れましたが、今はワークライフバランスがとれ、マラソンや、大好きなアフリカに旅行に行くなど趣味の時間も充実しています。
内勤に戻った後は、一般メーカーや出版社を担当する営業部門、発注フロー管轄部署などで、事務職として仕事の幅を広げてきました。新規部署の立ち上げに呼ばれ、職場のインフラを整える仕事にも多く関わりました。フロアごとに、使う事務用品や飲み物のメーカーまで変えてクライアントに配慮するのは、広告会社ならではです。
またコンプライアンス関連の部署では、企業のリスク管理を学び、視野が広がりました。広告会社は企業のさまざまな問題を解決するパートナー。ただの出入り業者ではなく相談に乗れるようになるには、地道な仕事で一歩ずつ信頼を重ねていくしかないと感じます。
どんな仕事をする時でも、立ち戻るのは経理の経験。そして営業での泥臭い経験です。両方の現場がわかるので、やんちゃな営業社員の伝票提出が遅れても、広い気持ちで見守ることができるんです。
社内では、自由学園の卒業生の温かい繋がりにも支えられています。年に1回集い、会話の中には「靴を揃えて脱ぐ自由」などの話が飛び出すんですよ。
私自身が仕事で大事にしているのは、嘘をつかないこと。不器用で曲がったことができない仕事ぶりを、営業時代の得意先に信頼していただいたこともありました。ただ、ずっと営業向きだったかというとそうでもない。清濁併せのむ柔軟さが営業には必要です。これらの経験を糧にして、今後も置かれた場所でしっかりと役立っていきたいと思います。
奈良島 道子(ならしま みちこ)
1965年東京生まれ。自由学園女子最高学部卒業後、1986年株式会社博報堂に入社。経理、営業、営業事務、システム管理部などさまざまな部署で働く。現在は博報堂DYホールディングス グループ情報システム局管理部 本社管理スタッフ。