随所作主 ~今の任務に全力で向かう~

随所作主
~今の任務に全力で向かう~

中島 愼吾
Shingo NAKASHIMA

千葉県警

男子部 65 回生

2016年10月13日談

射撃は一瞬の感覚の世界。心身を研ぎ澄まして的に向かう

子ども時代に出会ったお巡りさん

 父親も警察官でしたが、私が警察官を目指したのは父とは関係ありません。両親が共働きで鍵っ子だった小学2年生の時、自宅まであと数メートルというところで鍵を下水溝に落としてしまった。日も傾きかけて心細くなり、自宅裏の交番に行ってお巡りさんに相談すると、道具を持って一緒に来てくれて、落ちた鍵を拾ってくれました。そのお巡りさん、作業をしてくれている間ずっとニコニコしていたんですよ。警察官を目指した直接のきっかけはその出来事です。

 

父親はとても厳しくて、小さい頃から葛藤がありました。学園在学中もぶつかって家出したこともあったくらいです。でもその後、少しずつ関係はよくなったかな。

 

警視庁勤務だった父は、最後の数年、自ら希望して駐在所勤務をしました。そのとき、地域の人と気さくに接する父の姿を初めて見て「ああいいな」と思い、葛藤もなくなった気がします。

千葉県警察の制服姿で

人のためになっているのか?

 最高学部4年のときに地方公務員試験に合格し、卒業後は千葉県警に入りました。最初に入った警察学校の同期は40人くらい。教官からは厳しくしごかれ、精神的なプレッシャーをかけられて、10か月後の卒業時には、約30人にまで減っていました。

 

辛かったですが、父親との文通で支えられました。その後は交番に配属されましたが、2つ目に勤務した交番で、このまま警察官を続けるかどうか迷うくらい、衝撃的な事件がありました。

ある夜、近所に住むおじいさんが「眠れない。部屋に人がいる」と交番に来たので、一緒に部屋に行き、確認しました。特に異常はなかったので、「大丈夫ですね」と言ってその時は終わりました。

 

その3日後。朝の見回り中に、交番近くの公園で散歩中のおばさんから「お巡りさん、来て!」と呼ばれて行ってみると、人が首をつって亡くなっていた。署員を呼んで、その方を降ろして、所持品を見た時です。運転免許証の顔写真で、3日前のおじいさんだと気が付きました。

 

亡くなると人の顔は、こんなにも変わってしまうのかという衝撃と、もしかしたらおじいさんが最期に会って言葉を交わしたのは私だったのかもしれないという思いとで、忘れられなくなってしまって……。

 

その出来事以外にも、仕事中に警察をよく思っていない方たちから罵詈雑言を浴びせられることはしょっちゅうでした。ひどい言葉を浴び続けて、本当にこの仕事は人のためになっているのかと悩みました。

訓練用のトレーニングウエアにも「随所作主」の文字を入れている

与えられた場所で最善を尽くす

 ちょうどその頃、機動隊に異動になりました。警察学校時代に射撃の成績が良かったことを覚えていた上司に「やってみないか」と言われ、拳銃の特別訓練員として訓練を受けることになったんです。

 

異動直後に東日本大震災が発生。地震発生1週間後に大槌町へ出動しました。そこではただただ絶望感しかなかった。悲惨な現場で、ここで人が生きていられるはずがないというような、淡い期待すらも抱けない状況でした。1週間、ひたすらご遺体の収容をしました。きつかったけれど、警察官を辞めるか続けるかの悩みはなくなりました。

 

今は、射撃の特別訓練員になって6年目。警察官に射撃の指導をする教官になることを目指して日々訓練をしています。最初の2年間くらいは「的に弾が当たればいいだろう」くらいにしか考えていませんでしたが、だんだんに「やるからには教官をめざそう」と思うようになりました。

 

交番勤務の警察官は、毎年必ず射撃訓練を受けます。しかし、限られた時間の中でどうしても自分の思うようにいかず、「やっぱり射撃は苦手だ」と言う人もいます。でも、それをそのままにしてしまっては助けられないものがあるんです。射撃に苦手意識を感じる警察官の力になりたいと、今は思っています。

 

学園の生徒で、警察官になりたいと話を聞きに来てくれた人は数人いますが、そこで私が言うのは、警察官になって学園で学んだことが生かせると思わないほうがいいということ。本当になりたいという確固たる芯がなければ、できる限り他の道を考えた方がいい。

 

警察の世界は社会の暗い面に触れることが多く、幸せな学園生活とはギャップが激しすぎて、正義感や情熱だけではとうてい続けられません。私の場合は父親が同業という環境もあったし、小さい頃から目指していて、自分で決めてなったので、続いているのかもしれません。

 

私自身も、小学校時代に鍵を拾ってくれたお巡りさんのイメージと、実際の交番勤務のギャップが激しくて、辛かったのは事実です。一方で、警察官とひとくちに言っても職務の幅が広く、今は毎日拳銃を撃つことが仕事になっています。

 

仕事に向き合うときいつも思うのは、学生時代の友人が高等科3年の書初めで書いた「随所作主 立処皆真(随処に主となれば、立つ処みな真なり)」という禅の言葉。これは、渡辺和子先生の「置かれた場所で咲きなさい」という言葉にも重なります。いつでも自分のその時の任務、今は拳銃の訓練に全力で向かうことで、その仕事の真髄を知り、周りに翻弄されずに続けていきたいと思っています。

中島 愼吾(なかしま しんご)

1986年生まれ。2009年自由学園最高学部卒業後、千葉県警へ就職。同年4月に千葉県警察学校に入校。柔道、剣道、射撃、逮捕術などの実技、法律などの科目の研修を受ける。10年2月警察学校卒業、千葉中央警察署に配属。千葉駅前交番に勤務。警察学校時代の射撃の腕を見込まれ、11年3月警備部第一機動隊へ異動、拳銃の特別訓練員となる。異動後すぐに東日本大震災の被災地へ機動隊員として出動した。現在特別訓練員6年目。