個人の問題は、社会全体の問題です

個人の問題は、
社会全体の問題です

三島 あずさ
Azusa MISHIMA

朝日新聞記者

女子部 75 回生

2017年6月20日談

取材中はノートにぎっしりメモを書きこむ

111位の風景

 今年の3月8日、国際女性デーに向けて「Dear Girls」という特集を担当しました。日本の女の子たちが、社会がつくる「女らしさ」にとらわれることなく、自分らしく生きられる社会を目指して考えた企画です。

 

前年、世界経済フォーラムが発表した男女格差ランキングで、日本は144か国中111位でした。毎年これについて記事の扱いは小さいのですが、「さすがに111位はひどい」と憤った女性記者が私も含めて数人いました。でも新聞社って「男社会」なので、111位と言われても「ふーん」という感じなんです。

 

これの何が問題なのか、さまざまな方法で私たちの問題意識を伝え、企画を通してほしいと編集幹部に働きかけることから始めなければなりませんでした。同時に、賛同してくれそうな人に個別に声をかけ、仲間を増やしていきました。

 

数字では知っていても、自分の日常に関係あると思わなければ腹落ちしません。企画メンバーの中では「111位の風景」と言っていたのですが、意識して振り返ると「その風景、たくさんあったよね」と気づきます。

 

たとえば就職の説明会で、女子学生にだけ「わが社はワークライフバランスに配慮していて、子どもを産んでも働き続けられます」と説明がある。すると女子たちは「仕事と育児の両立は、女性ががんばること」と刷り込まれます。本当は男性にも関わる重大な問題なのに、「女性のやることだ」と内面化しちゃうんです。

 

私は、入社してすぐ山形支局に配属されました。その秋、朝日新聞と読売新聞による野球の対抗戦と芋煮会がありました。久しぶりに野球ができると楽しみにしていたら、1イニング終わったところで「女性陣は芋煮を作って」と言われました。「はぁ? なぜ女だけ」と思ったけれど、そのときは新人だったし言えなかった。

 

入社するとき「男性が多い会社だけどやっていける?」と言われて「やっていけます」と言った手前、理不尽なことやセクハラまがいのことをされても、受け流すのが大人の女性のたしなみだとも思っていました。

 

こうして振り返るほど、自分の中に内面化してきたことの多さに気づくんですよ。羽仁もと子先生は女性初の新聞記者の一人でしたが、「行く先々で女性ということで白眼視された」と書いています。「いったいそれから何年がたつの!?」と思いますが、程度の差こそあれ、変わってないんですね。

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がまんは問題の再生産につながる

 日本での認知度は低いですが、海外メディアは、国際女性デーに毎年特集を組むところが多いんです。そういうことも、自分がこの企画を手がけて初めて知りました。

 

問題に対して自分ががまんすればいいと思っていると、結局後輩たちも同じ目にあってしまいます。自分もその再生産に加担してしまっていたという苦い思いがありました。また、女はこうあるべき、男はこうするべきという価値観は、男女両方を苦しくさせています。私は男女二人の子どもがいるのですが、保育園でさえ「男の子は泣いちゃだめだよ」とか「女の子はお行儀よくしなさい」と言われるんですよ。自分の日常に目を向けるだけでも、社会の息苦しさの構図が見えてくる。この企画では、これまで記事として新聞にあまり載ってこなかったたくさんのモヤモヤした思いを集め、作家や俳優などいろいろな方に「女の子へのメッセージ」を寄せてもらいました。

 

仲間の一人は「私は半径3メートルのことを記事にしたい」と言っていましたが、その思いにとても共感しています。それぞれの身近で起きることは決して個人的なことでない。個人的なことは、社会的なことですから。

東京築地市場を歩く。

若い人の心に届く記事を

 私が新聞記者になった理由の一つは、清風寮で部屋に一部ずつ届く新聞が、貴重な情報源だったことです。多感な時期に、新聞を通して国内外のさまざまな問題を知り、考えました。部屋のメンバーと取りあいをしながら読んでいたことを思い出します。

 

国語の渡辺有子先生にも影響を受けました。長期入院している子どもたちに勉強を教えるボランティアをしていたこと、ナチスや旧日本軍の話など、知らないことをたくさん教えてくださった。「良いことは必ずできる」と言うけれど、「知らなければ何も始まらないし、知らないから何もできないというのは嫌だな」と思ったんです。知らないことを知るのは純粋に面白いし、情報を発信することで、誰かの「良いことは必ずできる」を後押しできたらと思って、新聞記者を志しました。

 

情報には、それを受け止めた人の世の中の見え方が少し変わったり、関心の幅が広がったり、何か新しい行動に出るきっかけになったりする力があります。特に、若い人に届くような発信をしたいですね。

 

いくら書いても、読まれなければ自己満足でしかありません。少しでも多くの人に届けるにはコンテンツも大事だし、届け方も工夫しなければ。人の心にちゃんと届く仕事をしていきたいと思います。

三島 あずさ(みしま あずさ)

1976年生まれ。1997年自由学園最高学部を卒業後、国際基督教大学に進学し、2001年に朝日新聞社に入社。山形支局と横浜支局で事件取材、行政取材、スポーツ取材などさまざまな仕事に取り組んだ後、東京本社の社会部へ。2度の産休・育休を経て、現在は地域報道部に勤務する。