気象データを通じた社会問題の解決へ

気象データを通じた
社会問題の解決へ

三上 正洋
Masahiro MIKAMI

フィールドプロ 代表取締役

男子部 42 回生

2021年4月6日談

自由学園学部棟屋上に設置した気象観測装置

失敗しても逃げなければなんとかなる

 フィールドプロを立ち上げたのは27年前になります。気象観測装置の開発を手掛ける会社ですが、前身の会社で南極や北極での気象観測機器を開発したことが始まりでした。最初にその仕事をしたのが26歳の時。当時、マイナス50度の世界で1年間、データを取ることができる測定器はありませんでした。なんとか極限環境での使用に耐えうるものを、と2~3年かけて開発したものが非常に好評で、モデルチェンジをしながら20年以上にわたるロングセラー商品となりました。

 

いまは数社の会社を経営していますが、現在も開発には携わっています。私自身は何かやるときに人のペースに乗るのが苦手で、組織には向いていない人間なんですよ。自分の性格をよくわかっているので、本当は会社ではなく「三上工房」でやりたかったのですが、与えられた使命があるのかなと思い、組織化したんです。一時期はグループ全体で100人以上にもなりましたが、分社化を繰り返して、今は1社あたり20人ほど。北極や南極観測の仕事も安定動作しているため、国立の研究機構や大学の研究者にほぼ引き継ぎされました。

 

決して順風満帆ではなく、20年ほど前には倒産寸前になったこともありました。借入金の返済が難しいと、銀行の支店長に頭を下げた時には、笑いながら「普通の社長は逃げるけど、あなたは逃げずに銀行にやって来たから支援する」と言われて、なんとか返済することができました。失敗しても逃げなければなんとかなる。10回失敗しても11回目で成功すれば、過去の失敗は全部成功になる。それが維持存続の要なのだと思います。

北アルプス唐松岳八方池(第三ケルン)の気象観測装置(防災科学技術研究所提供)

山に魅せられた学生時代

 自由学園では登山があります。そのことを知った父親が、普段あまり接したことがなかったのに、小学校6年生のとき、入学準備として秩父方面へ山登りに連れて行ってくれたんです。体が小さかった私を心配したのでしょう。入試が終わった翌週だったのですが、たまたま試験の時に委員として働いていた男子部生が山に来ていて、覚えていてくれたのか声をかけてくれたんです。そして入学後の遠足で八ヶ岳に。これがきっかけで山が好きになりました。

 

それからは毎週末一人で、山に出かけていき、中等科の間に、奥多摩、奥武蔵、奥秩父の山はすべて登り、中等科3年のときにはロッククライミングも始めました。当時の東天寮の壁には先輩が打ったハーケンがあったのですが、緩んだものは私が抜いて打ち直したりもしました。高等科1年の時には社会人山岳会にも所属して、どんどん山にのめりこんでいったんです。当時最年少で、ある岩壁を登ったということで、雑誌で紹介もされました。友人たちには内緒にしていたのですが、その誌面を先生が見つけて下さったりして……。岩登りをしていたことを父は知っていましたが、母は今でも知らないかもしれません。

 

海外遠征登山では、電子工作が好きなこともあり、気象測器の係でした。すでに長期間の山での生活を経験していたこともあり、温度センサーや湿度センサー、風向風速計なんかを自分でつくって測定していました。自分の中では、『子供の科学』の付録を組み立てるような遊び感覚でした。

クライミングを卒業し、今はパラグライダーを楽しむ三上さん。スイス インターラーケンにて(本人提供)

好きなことをビジネスにできた幸せ

 学部以降、ヨーロッパアルプスにも何度か挑戦して、モンブラン山群やマッターホルンなど様々な岩壁を登攀しました。ただ、岳友を何人も失い、このままクライミングを続けたらいつかは自分も、と考え始め、危険な山からは卒業しました。それから数年間は山に行くこともなく、電子工学の技術者として就職しました。当時の理科の先生には「君は自分で仕事をしたほうがいい。就職しちゃいかん」と言われ、わざわざ「就職しないんだよな?」と電話までいただきましたが(笑)。

 

気象データは、防災やフードロスの削減など、さまざまな使い道があります。データを蓄積し、活用することで、環境問題や社会問題の解決につながる可能性があるのです。実は、日本で一番気象の観測ポイントを持っているのは、気象庁ではなく、某通信サービス会社なんです。日本の気象台は120ヵ所、アメダス観測所は1,200ヵ所程度ですが、その会社の基地局は4,500ヵ所。ここに我々の開発した超低消費電力の気象観測装置を導入しているのです。最高学部の屋上や自社の屋上も、そのポイントの一つとなっています。環境や再生エネルギーといったテーマにおいては、気象が重要なデータになります。自由学園にもうまく、そのデータを活用してもらいたいと思います。

 

グループ会社でパラグライダーの輸入販売を営みながら、自分でも空を飛んでいます。アウトドアはもはやライフワークです。そのライフワークの中で、電子工学を専門にしていた私の知識を、周囲に引き出してもらって今があります。「作ってみてよ」と言われて作ったら喜ばれた。そのおかげで、好きなことからビジネスに変換できたことは、大変幸せなことだと思います。いずれ引退したら、気象計測学という学問を構築することが、次の私の目標です。

最高学部の食堂で

三上 正洋(みかみ まさひろ)

1964年生まれ。中等科より自由学園に学ぶ。最高学部卒業後、電子工学を勉学。1987年、研究者を対象とした超低消費電力の気象センサーや気象観測用データ記録計、地震計測用データ記録計等を開発。1994年にティーアンドエフを設立。その後組織変更等を経て、2008年にフィールドプロへと社名を変更。現在、フィールドプロおよび関連会社3社の代表取締役・取締役、現職。