1%の喜びが、99%の苦しみを凌駕する

1%の喜びが、
99%の苦しみを凌駕する

國司 華子
Hanako KUNISHI

日本画家

女子部 59 回生

2021年1月15日談:オンライン

2020年に茨城県近代美術館で行われた展覧会。自身の作品の前で。

「きわ」への憧れ

 自分が絵を描く人になるとは思ってもいませんでした。自由学園での美術の時間は私にとって楽しいものでしたから、美術に関わる仕事ができたらいいなという思いはありましたが、気がつけば絵描きが生業だなんて、今でも私自身、不思議な感じがしています。

 

描きたいものが途絶えた事はありません。でも、描くときには、「こういうふうに見てほしい」「こういうつもりで描いた」という思いは、極力排除しています。自分の考えなど大したことがないと思っているので、むしろそれ以上のものが現れてくれないか、意識下にあるものを邪魔しないように、見てくださる方のことも邪魔をしないように、との思いからです。他力本願なスタイルですね(笑)。同じ本を読んだとしても年齢やタイミングで感じ方が違うように、今時点の作品の役目も決めつけないでおきたい。なるべく柔軟で流動的でありたいのです。

 

たとえば、モチーフの人、花、猫たちも、かろうじてそれらしくはあるものの、それぞれがある意味「きわ」にいます。大人でも子どもでもないような、女性のような男性のような、人間のような人間じゃないような、という感じもあります。枠にはめられた途端、息苦しくなったり暴れたくなったりする気持ちは、みんな持っていると思うんですよ。「きわ」への憧れは、私の中のどこかにあるものだと感じます。

茨城県近代美術館でのアーティスト・トーク。子ども時代に好きだった『こねこのぴっち』の話をする國司さん。

何を描くかではなく、どのように描くか

 学生時代から作風は変わっていないと言われます。自分でも意図して変えるものではなく結果的に変わっていくものと感じています。描けるものしか描けない。「これを描きたい」と思っても、ほとんどのものは描けないんです。とてつもなく美しい自然など、本物のほうがいいに決まっていますから。

 

たとえばみんなが同じ桃を描いたとして、上手い下手の意味ではなく、いい絵もあれば面白くなさそうな絵もある。それは、何をそこから抽出するか。どう見るかっていうことなんでしょうね。難しい話に聞こえますが、子どもは自然にやっています。でも、大人になるとできなくなっちゃうんですよ。上手に描こうとか、描き方がとか、いろいろな妨害事項が入ってくるからです。

 

見る行為から生まれる素敵な認識のズレが、画面に放出するときにもまた起こり、個別の誤差、個性が生じてきます。そうやって、それぞれの違ったフィルターを通していくということが、描くということなのではないでしょうか。何を描くかではなく、どのように描くか。そこに、絵というものと作家の存在意義があるのだと思います。

 

美術的知識や技術の鍛錬は無駄ではないけれど、それだけでは絵は描けません。私にとってはぼんやり考え事をしている時間も、全然違う事をしている時間も、すべてが案外必要なんです。煮詰まって寄り道をしてやっぱりダメな場合もあるし、まさかの事態が功を奏すということもある。以前はうっかり墨を落としてしまったら「こりゃ大変!」と思っていましたが、今はしばらく眺めて「これもありだな」とそのまま採用したりします(笑)。

「自分が絵を描く人になるとは思ってもいませんでした」

何かが宿る瞬間

 近年は、言葉からインスパイアされることも増えています。たとえば「理(ことわり)」や「備忘録(びぼうろく)」という作品です。まず言葉の持つ響きと意味合いに惹かれ、この題名を持つ作品を描きたいと思いました。言葉が可能性を広げ、補佐をしてくれました。とは言っても題名ありきの状況に作品の方が言うことを聞いてくれるとも限りませんから、時には何れかをあきらめる事もあります。このようなやり取りは描いている間にも常に起こっています。何を生かし、何を消してしまうかというような次の一手の決定を何度も繰り返して進んでいく。葛藤と決断の繰り返しが制作の実態だと思っています。

 

実のところ、制作の最中は99%辛いですよ。「描くのが好きですか?」と聞かれたら、「実は嫌いです」と言ってしまうほど。残りの1%あるかないかの瞬間だけです、喜びがあるのは。一瞬だけどとびきり。

 

目の前にある紙と絵具はあくまでも二次元ですが、そこに一つの空間なのか生命体なのか、何かが確かに生まれる瞬間がある。その瞬間「あ、できた!」と思うんです。実際の完成はまだずっと先だとしても、完成が見えた時がもう完成なんです。

 

どの絵にもそういう瞬間はあるのですが、なかなか訪れない場合や、描いている当人が気づかなければ、せっかく生まれたものを潰してしまう事もありますね。日本画は水分を含んで濡れた色と、乾いた色ではかなり違う。できたと思う瞬間も、乾くと消えていってしまうことがあるので、変化を予測しながら描かなくてはなりません。絵の中に、私ではない命が宿ったら、あとはそちらの声を聴いて仕上げていくだけ。とはいえ、出来上がったものに満足いくことは少なくて、そのたびに宿題を次の作品へと持ち越しです、ずっと。

國司 華子(くにし はなこ)

自由学園女子学部卒業後、東京藝術大学大学院美術研究科修士課程日本画専攻修了。日本画家として国内外で精力的に個展を開催。2005年再興院展日本美術院賞大観賞、2014年同賞、足立美術館賞、2019年内閣総理大臣賞など多数受賞。現在は日本美術院同人、東京藝術大学大学院にて指導に携わる。