「社会を良くする」種を蒔く仕事

「社会を良くする」
種を蒔く仕事

功能 聡子
Satoko KONO

ARUN合同会社代表 NPO法人ARUN Seed代表理事

1982年女子部高等科修了

2018年10月19日談

東京・文京区の事務所にて

社会を良い方向に変革するための投資

 社会的投資という言葉を聞いたことがあるでしょうか。「社会を良い方向へと変えるビジネスへの投資」を意味しています。では、「社会を良い方向へと変えるビジネス」とは何でしょうか。

 

たとえば、途上国の貧困問題を解決するために、先進国を中心とした途上国支援はこれまでも行われていますし、国連や政府、多くのNPO法人などが活動を行っています。その多くは寄付活動によって成り立っていますが、残念なことに寄付が途絶えた途端、それまで行ってきた活動も終了してしまうケースが多くあります。他方、いわゆるビジネスや投資は、儲けにならなければ撤退してしまうのが通常です。

 

社会的投資は、そこに第3の道を示すものです。経済的支援や人的支援、技術支援など、さまざまな形で社会課題の解決を目指したビジネスへの「投資」を行い、経済的リターンも目指します。重要なのは、持続可能であることと社会的インパクトがあること。一方的な支援では、そのサイクルは成立しません。現地の人たちが、自らの力で立ってビジネスを起こし、それを通して社会開発を行う。私たちARUNは、そうした社会起業家を応援するために存在しています。

たとえば、カンボジアでは美味しいお米を生産していますが、以前は籾のままタイやベトナムに買われ、タイやベトナムのコメとして海外の市場に流通していました。これを自分たちで精米し、カンボジアブランドとすることで市場に合わせたコメの生産ができるようになり、付加価値をつけて販売することができるようになったので、農家の生活も豊かになりました。インドでは、農家から牛乳を買い取る際に、きちんと成分や分量を計測する機器を設置し、品質に応じた支払いシステムを導入したところ、農家がより良いものを生産する努力をするように変わり、農家の収入も増えました。こうした持続可能な社会を実現するために努力する人を支援することが、私たちの使命です。

カンボジアの農民組合による精米所建設予定地でのヒアリング(本人提供)

自由学園での学びがいまを創った

 私がアジアに目を向けるようになったのは、普通科(中等科)1年生の時でした。ネパールで医療活動を行っていた岩村昇先生が、自由学園で講演をしたのを聞いて「アジアの人と共に生きたい」と強く思ったのです。そしてその夏、信州共働学舎(*)で故 宮島眞一郎先生(男子部1回生)と過ごした経験から、「周りから無視されたり、取り残されている人が持つ『宝物』を見つける」ことの意義深さを知ったことが、今の仕事をするに至った根本にあります。

 

高等科卒業後は、国際基督教大学(ICU)の自然科学科に進み、生物学の勉強をしました。卒業後、企業に2年勤めた後、アジア・アフリカの農村指導者養成を行っていたアジア学院に職員として採用されました。そこでは、アジア・アフリカ各国のリーダーや、日本人参加者向けの研修やワークショップを運営する立場で働きました。5年ほど勤めてもっと現地と深く関わりたくなり、農村で保健医療活動を行っていたNGOシェア=国際保健協力市民の会に加わり、カンボジアに赴任しました。

 

シェアでは看護師や助産師、ヘルスボランティアなど農村で保健衛生に関わる人の教育を行っていました。病院建設や薬の手配などに加えて、自走していくための支援や関係づくりが不可欠であると感じました。最初は2年契約でしたが、結局5年に延長。さらに国際協力機構(JICA)に移って5年をカンボジアで過ごしました。JICAでは、保健医療政策や援助国間の調整にも関わり、草の根の活動から政策決定に至るまでのプロセスに関わったことは大きな経験でした。

 

(*)共働学舎:障害を持つ人、今の社会で生きづらさを抱えている人が農業をしながら共に生活する。信州のほかに北海道、東京にある。

牛にウエアラブル端末をつける実験に協力しているインドの農家と社会的企業のスタッフ(本人提供)

社会起業家と投資家が共に成長する機会を

 カンボジアで10年過ごし、自分の成長のためにもいったん離れる決意をして、ロンドンの大学院に入りました。途上国をテーマにした社会政策について研究し、修士号を取得。そこで出会った日本人と社会的投資を行いたいと意気投合し、活動を始めました。2009年、友人を通じた口コミで集まった約30人、300万円で、初めての社会的投資をカンボジアのソーシャルビジネスに対して行いました。私は日本にも、こうした事業に関心をもってお金を出してくれる人がいることに感動しました。

 

自由学園には、自分の道を切り拓く精神があります。創立者のミセス羽仁は教育者であると同時に起業家でもあったと思います。ミセス羽仁は自由学園を「それ自身一つの社会として生き、成長し、そうして働きかけつつある学校」と表現しましたが、私も、それ自身が生き、成長し、働きかけ続ける社会的投資プラットフォームを作るため、ARUNを立ち上げました。社会起業家と投資家の間に有機的な結びつきをつくることで、投資家も社会起業家から学び、よりよい関係を作ってゆく。この活動を通じて、「社会を良くする」仲間を育てることができると信じています。

 

ARUNはカンボジア語で「暁」「夜明け」という意味です。朝に活力がみなぎるように、人が本来持っている力を信じて事業を進めてゆけば、活力にあふれた未来が生まれるに違いありません。

「社会を良くする仲間を育てたい」

功能 聡子(こうの・さとこ)

自由学園女子部高等科修了後、国際基督教大学(ICU)に進学。卒業後、民間企業、アジア学院勤務の後、1995年よりNGO(シェア=国際保健協力市民の会)、JICA、世界銀行の業務を通して、カンボジアの復興・開発支援に携わる。 カンボジア人の社会起業家との出会いからソーシャル・ファイナンスに目を開かれ、その必要性と可能性を確信し 2009年ARUNを設立。