好きなことを続けるため大変はあたりまえ

好きなことを続けるため
大変はあたりまえ

小林 雅之
Masayuki KOBAYASHI

ドラマー(JUN SKY WALKER(S), POTSHOT)

男子部 44 回生

2019年10月4日談

西東京市でおこなわれたJUN SKY WALKER(S)ライブ会場で。

初めて見たロックコンサートは誕生日会

 僕が初めて見たロックコンサートは、男子部に入って最初の誕生日会でした。上級生が楽しそうに演奏しているのを見て、すごくかっこいいと思ったんです。生活団の時に体操会の入場行進で聴いた太鼓の音が好きだったのもあって、ドラムをやってみようと思いました。

 

実際に叩き始めたのは普通(中等)科2年の冬。ドラムセットは共有物だったので、当時はなかなか下級生の自分が叩ける機会は少なかったのですが、たまたま上級生に叩き方を教わることができました。「コツコツ練習するのが大事」と言われましたが、あまり真面目に練習はしませんでしたね。それでもエイトビートが叩けるようになるとそれが嬉しいものだから、ずっとエイトビートばかり叩いていました。

 

ちょうどその頃、1つ上の森純太君と同級の伊藤毅がギターとベースでバンドをやっていたのですが、一緒にやらないかと誘われたのが、JUN SKY WALKER(S)(以下、ジュンスカ)の原点です。僕が入ったすぐ後に宮田和弥も加入。高等科に進学してからは、ライブハウスにも出るようになって、それなりの頻度で活動していました。

自由学園にて。

音楽を続ける決意、背中を押してくれた友人の父

 ほかのメンバーは最高学部に進学しなかったのですが(森君は中退)、僕は学部に進学して、そのままバンド活動も続けていました。原宿のホコ天で頻繁にライブをやるようになって、月2~3回はライブをやっていました。今では考えられませんよね。世の中がバンドブームだったこともあって、横のつながりもでき、ライブハウスやコンテストにも出場するようになっていました。

 

学部3年で就職活動の準備が始まる頃にはバンドを辞めるとメンバーに話し、「代わりが見つかるまでやればいい」と言ってくれたのでその条件で続けていました。そんな僕を親も心配していたようです。

 

3年の後半に、就職懇談会で「音楽業界に就職希望」と言ったら、後日、同級生から「うちの父親が『あいつは就職する気なんかないくせに、口から出まかせを言ってる。一回家に連れてこい』と言ってた」と聞かされました。家に行って話をしたら「君はやりたいことをやった方がいいんじゃないの? ご両親は分かってくれないだろうけど、頑張りなよ」って背中を押してくれたんです。その言葉で「バンドでやっていこう」と決意でき、気持ちがだいぶ楽になりました。宮田が学部進学の直前になって「音楽でやっていく」と飛び出していったことも、決意できた一つの理由だったと思います。

 

当然のごとく、父親からは「奇をてらった生き方をしなくていい」と言われ、母親からも「そんな甘いもんじゃない」と猛反対されました。父親の会社まで行って「それでもやりたいことをやる」と言ったら「勝手にしなさい」と諦められました。こういう生き方を応援してくれる人は、そうそういるものじゃないですね(笑)

男子部楽器庫のドラムセットを前に。

ジュンスカがずっと続くことが一番の望み

 気持ちを固めたのが学部4年になる直前くらい。

 

4年になってからはデビューオファーが数社から持ちかけられて、卒業直後の5月21日にメジャーデビューすることが決まりました。話をもらったときは嬉しくたまりませんでしたが、親は「良かったけど、すぐ終わらないか?」と心配していました。それでもいざやり始めると結構喜んでくれていましたけどね(笑)。新聞の切り抜きを取っててくれたり。

 

デビュー前に挨拶代わりの全国ツアーをしたのですが、口コミやバンドブームのおかげですごく盛り上がって、「こんなに待っていてくれる人がいるんだ」というのを実感できて、すごく楽しかったです。デビューした年の11月に渋谷公会堂でライブをやった時には、先生も聞きに来てくださったのをよく覚えています。

 

1997年に、一旦ジュンスカが解散。しばらくしてからPOTSHOTに加入。こちらは現在解散中ですが、たまにライブもやっています。ジュンスカも再結成したので、両方とも一旦終わってまた復活しているんですね。バンド活動を続けていく中で、自由学園にいて良かったと思うことが多くあります。いろんな場所で「変わっている」と言われるけれど、それはいい意味で言われていると自分では思っています。バンド界隈は変わっている人も多いので、むしろまともな方だと思います。いいか悪いかわからないけど。

 

歌うことも好きなので、ギターの弾き語りライブを知り合いのバーでやって、讃美歌や男子部讃歌を歌ったりもしています。最近では興味があった和太鼓の練習にも行っています。

 

よく「好きなことをやり続けるのは大変じゃないか?」と質問をされますが、苦労はないわけないから。大変はずっとあたりまえでもあります。でも、好きなことを続けられるのは本当にありがたいことです。自分の子どもに対しても、本人がやりたいと思って決めたことを応援しています。

 

2018年はジュンスカ結成30周年で、ツアーで30本、フェスなどへの参加で70本くらいライブをやりました。

 

今後も年2回30本くらいの公演ができれば最高ですね。ローリングストーンズみたいに、歳をとってもずっとジュンスカがあることが一番の望みです。是非また、自由学園でジュンスカのライブができたらいいなと思っています。

「歳をとってもジュンスカでいたい」

小林 雅之(こばやし まさゆき)

1965年生まれ。幼児生活団より自由学園で学び、1988年最高学部卒業。在学中の1980年に、森純太、伊藤毅、宮田和弥と共にJUN SKY WALKER(S)を結成。卒業した年の5月に1stアルバム『全部このままで』をリリースし、メジャーデビュー。1997年に解散し、翌年にPOTSHOTに加入。2005年にPOTSHOT解散後はフリーとして活動し、2007年にJUN SKY WALKER(S)を再結成。2019年10月、西東京市親善大使に任命。