人生の最期に幸せが増えるように

人生の最期に
幸せが増えるように

平方 眞
Makoto HIRAKATA

緩和ケア医

男子部 41 回生

2019年2月16日談

「緩和ケア医は私の天職です」

3000人を看取って

 緩和ケアというのは、元々ホスピスのようなところで治療をあきらめた人が受けるものでした。それが2002年に定義が広がり、「命に関わる病気で困っていることがあれば、手助けすること」のすべてを緩和ケアと言うようになりました。

 

病気で命が終わりに向かう時には、残念なことが次々にやって来ます。放っておくと不幸の連続になり、残された家族も不幸のどん底という状況に陥りやすい。そうならないために私たちは、「次はこういうことが起きますよ」とか「こういう手当をすれば苦しくありません」と少し前倒して、本人と家族に話をしていきます。

 

緩和ケアは医療の新しい分野なので教科書的なものが定まっていません。効果があったものを世界中で共有し、進歩させていく段階です。その中で私自身は20年以上前から緩和ケアに携わり、3000人以上を看取ってきました。最初は自己流だし自信がなかったけれど、だんだんに「こういう時はこうするといい」「こう説明すると患者さんにわかってもらいやすい」という自分の中の答えが増えていきました。

 

最近は、国でも命の終わりを計画的に看ていこうという考え方が進んでいます。もしもの時の医療やケアについて、本人と医療チームが話し合うことを「ACP:アドバンスケアプランニング」といいますが、昨年厚労省はそれを「人生会議」と名付けました。

 

たとえば人生会議では、最後まで家にいたいのか、入院でもいいか、人の世話になる時には誰がいいのかを、本人と医師、ケアマネージャー、訪問看護師、家族などで話し合います。先月も「家で過ごしたいけれど苦しいのは嫌」と言っていた70代の女性が、痛みが強くなって一時入院。その後は人生会議で話したことを元に、みんなが優しさ5割増しくらいで寄り添い、自宅で最期を迎えることができました。

2009年、諏訪中央病院名誉院長の鎌田實先生と。(本人提供)

自分で決めたことは一つもない

 私が緩和ケアを始めたのは1997年です。当時勤めていた諏訪中央病院で「命の勉強会」に参加していたら、院長だった鎌田實先生に「今ここにいる医師で、やるっていう人がいれば、緩和ケア病棟を作ろうと思う」と言われ、なりゆきで手を上げた。それが緩和ケア医になった理由です。

 

それまでの道筋をふり返っても、自分で積極的に決めたことは何一つないんですよ。父親が医者だったので、自分も医者を目指して医学部へ。大学を卒業する時にある先生から「本当に実力をつけたいのなら都内の忙しい病院がいい」と言われ、武蔵野日赤で2年間研修。ほとんどの科を回りました。

 

その後、「北海道で若い医者を探している」と言われて町立厚岸病院に行き、生活の中の医療や訪問診療を経験しました。1年7か月後、今度は諏訪中央病院を紹介してもらったのですが「血液内科を勉強して来てほしい」と言われ、世界トップクラスの自治医大で半年学びました。そこでは最先端の医学を以てしても避けられない死があることを知り、医者の言葉ひとつで遺族が絶望したり希望を持ったりすることも経験したんです。

 

呼んでくれる場所に行き、言われるままに働いて、遠回りした気がしていましたが、結局最短距離で緩和ケアに行きついた。今となっては何かに導かれてきたように感じます。

ワールドドクターズオーケストラでティンパニー奏者として活躍。(本人提供)

いい人生だったと思えるように

 最近は緩和ケアについての本を出版し、全国各地の勉強会や講演で話すことも増えてきました。そこでは同じ思いを持つ医療者と共に「人が亡くなって行く時、どうやったら不幸を少なくして幸せを多くできるか考えよう」という流れが生まれています。

 

人が亡くなることに関して私は、その後に生きていく人の人生が大切だと考えています。患者さんの中には「俺の人生、不幸の連続だった」という人もいれば、同じような病状でも「私は幸せだ」と言いながら過ごす人もいます。幸せだという人の家族は、やっぱり幸せなんですよ。

 

つまり、本人の不幸や痛みを減らして「幸せだった、いい人生だった」と思って命を終えられたら、残された人もあまり不幸にはならないんじゃないか。心に穴が開く悲しさや虚しさはどうしようもないけれど、ぽっかりあいた穴も大事にしていこうという気持ちになるんじゃないか。幸せを増やすとは、そういうことだと思っています。

 

先日もご家族から「先生に最期を看てもらえて本当によかった」と言っていただき、とても嬉しかった。ハードな仕事で無理もしていますが、世の中の幸せが増えることには価値を感じるし、私自身の幸せにもつながっています。そう思える自分は、つくづく緩和ケア医に向いていると思います。

 

昔は患者さんを看取るたびに、気持ちがぐっと下がっていました。今は消化できるようになったのか、そういうことはなくなりました。趣味で音楽をやっているのですが、仕事と音楽は天秤の両側。プライベートな時間が充実しているからこそ、仕事に打ち込めるのだと思っています。

好きなこと、読んだ本、体験したすべてが、緩和ケアに役立っている。

平方 眞(ひらかた まこと)

1962年東京生まれ。自由学園高等科修了後、山梨医科大学へ。武蔵野赤十字病院、町立厚岸病院、自治医科大学血液内科を経て、94年に諏訪中央病院に就職。訪問を中心に緩和ケアを開始。2009年より緩和ケア専門の愛和病院で副院長を務める。著書に『がんになっても、あわてない』『医者とホンネでつきあって、明るく最期を迎える方法』などがある。2015年より自由学園楽友フィルハーモニック・オーケストラの代表も務める。