市民の声が社会を変える力に

市民の声が
社会を変える力に

林 美帆
Miho HAYASHI

あおぞら財団 研究員

女子部 73 回生

2019年4月22日談

自由学園にて。

公害患者の無念の声が聞こえてきた

 あおぞら財団は、大阪西淀川で起きた公害裁判の和解金の一部を使って立ち上げられたまちづくり組織です。私はその中にある公害の資料館で働いています。きっかけは、大学の歴史学のゼミの先生から「現代史の資料を読むいい機会になる」と紹介され、資料整理のアルバイトを始めたこと。当時の私は、公害には全く関心がありませんでした。

 

資料の目録を取る仕事は地味だし、疫学や気象学なども知らなければならず、反対運動をする意味さえよくわかりません。ただ、資料には公害患者の声にならない声、無念な思いがいっぱい詰まっていました。その声を聞いてしまったからには、これらをきちんと整理し、世に出す責任があると思いました。

 

もともと私は高校の歴史の教員になりたくて、学園を卒業した後、大学に行きました。そこで出会ったのが、佛教大学の原田敬一先生です。原田先生は、私が自由学園出身だということをとても面白がってくれたんですね。近現代史が専門の先生にしてみれば、自由学園は大正自由教育の調査対象。いろいろ問われる中で、羽仁もと子のことを研究せざるを得ない状況になっていきました。

 

当時の私は学園で受けた教育に不満があり、批判もこめて「羽仁もと子の家庭観」という卒論を書きました。ゼミでの2年間は日本史を学ぶのが楽しくてたまらなかった。もっと勉強したくて大学院への進学を決めたとき、西淀川の公害裁判に関わっていた原田先生から、あおぞら財団を紹介されたのです。

西淀川で行っているフィールドワークの様子(本人提供)

活動を支える羽仁もと子の精神

 資料整理のアルバイトをしながら、奈良女子大学の大学院に通いました。そこでも羽仁もと子に興味津々な小路田泰直先生と出会います。丁寧に指導してくださり、「資料をもっと読みなさい」と言われて年代順に読んでいきました。羽仁もと子著作集は年代順ではないため、時系列の変化がわかりません。国会図書館に行き、とにかく順番に読み進めました。

 

すると、次女の涼子さんが亡くなった時の羽仁もと子の悔い改めの話があり、その前後の時代経過の中で、同じ家計簿の話でも変わっていくことに気づきました。前は合理主義を謳っていて、それができない人には冷たい印象があった。でも娘を亡くしたもと子は、人間には誰しもできないことがあると考えるようになっていきます。

 

さらに読んでいくうちにわかったのは、もと子が「生活の中でしか学べない」と生活の大切さを追い求めていたこと。それを知り、学園での生活は財産だと思えるようになりました。お料理リーダーや衣館や大芝生の係など、目標に向かって一つ一つ積み重ね、仲間と励んだことは無駄ではなく、何より大事な時間だった。学園に抱いていた不満は消え、客観的に受け止められるようになったのです。

 

羽仁もと子は、社会に対して働きかける活動家でもありました。私は2005年にアルバイトから正式な職員となり、今は全国の公害資料館ネットワークをとりまとめています。各地の公害の学びを共有する活動をしながら、ふと気づくともと子の「よい社会をつくる」という精神が、この活動に生きていると感じます。すべての人が対等であること。仲間と分業すること。目標を持って社会を変えていく視点。活動の基礎はみな、学園での生活と羽仁もと子に学んだことです。

「羽仁もと子の『よい社会をつくる』精神が活動の中に生きています」

社会を変えていくネットワーク作り

 あおぞら財団の職員になった時、資料館の仕事だけでなく環境教育をやってほしいと言われました。ちょうど国連キャンペーンのESD(持続可能な開発のための教育)が始まったので、市民と企業と行政のパートナーシップを教育を通じて目指す事業を始めました。

 

公害地域のパートナーシップは、実はとても難しいんです。被害者の声が届きにくいために厳しくなりがちで、行政や企業は加害者なので心を開きにくい。そこで学生のスタディツアーの形でヒアリングを始めました。西淀川だけでは広がりがないので、全国の公害地域に学生と行き、3年計画でスタディツアーを行ったんです。交渉では出にくい言葉を学生が拾い、対話や和解が進んで国内でも高い評価を受けました。

 

全国の公害資料館ネットワークは、この活動の信頼関係から生まれたものです。公害資料館の形は公立や民間などさまざまですが、目指すところはみな「公害の経験を伝える」こと。批判し合うのでなく、仲間になって一緒にできることを考える。私はその場作りをしています。みんなと活動ができるのは、目標を持って動けば社会を変えられると私が信じているからだと思います。

 

公害問題は汚染対策や被害の補償問題が先に立ち、経験を伝えることは後回しになりがちです。そこに教育を通じて、未来のためにできることを考えたい。前に進むには被害者一人一人の思いを聞き、本気で共感するしかありません。それを位置づけ、文字にしてまた次の教育に生かしていく。そうすることで、マイノリティの声も生かされる社会になっていくのだと思います。

林 美帆(はやし・みほ)

1975年生まれ。自由学園女子最高学部卒業後、堺女子短期大学、佛教大学で学び奈良女子大学大学院博士後期課程人間文化研究科比較文化学文化史論コース修了。博士(文学)。学生時代から西淀川公害訴訟の資料整理にアルバイトで携わり、2005年公益財団法人公害地域再生センター(あおぞら財団)に就職。財団内の「西淀川・公害と環境資料館」で働く。佛教大学・大阪市立大学非常勤講師。