共助の精神を育むコミュニティ支援のあり方

共助の精神を育む
コミュニティ支援のあり方

船戸 義和
Yoshikazu FUNATO

岩手大学 特任助教

男子部 57 回生

2020年10月20日談

自由学園記念講堂前にて

自らのスタンスが行動を決める

 私の父はACEF(アジアキリスト教教育基金)というNGOを設立し、バングラデシュに寺子屋を贈る活動をしていました。その姿を見ていたため、自然と国際協力やNGOといった活動に関心を持つようになっていました。

 

実際にそうした仕事をしようと考えたのは、学部3年生のころ。国際協力に英語は欠かせませんが、語学の成績が良くなかったので、卒業した年の9月に渡米して、語学学校に1年間通いました。渡米したのは、9.11のテロが起きる3日ほど前で、アメリカ中が混乱し、またアメリカ人の感覚も大きく変化した時期でした。

 

「God Bless Our Troops(我らの軍を守り給え)」というムーブメントが起き、ホームステイ先のホストファミリーからも戦争に関する意見を聞かれました。どんなことにも自分の意見を求められるし、言わなければ何も考えていないとみなされる文化に身を置いていたことで、何かアクションを起こすには自分のスタンスを決めなければならないということを痛感しました。

 

語学学校を出た後は、バーモント州にある大学院で非営利組織の運営や支援プログラムの構築を学びました。実践的な研究が中心で、その一環としてシアトルの子ども支援を行うNPOでインターンを経験しました。修士論文では、ACEFを含むNPOに共通する問題として、日米の小規模NPOにおける「リーダーシップの交代」をテーマに取り上げました。組織運営とリーダーシップを学んだことと、自由学園での自治の経験は、のちに取り組む復興支援で大きく役立つこととなりました。

災害公営住宅の自治会設立に向けた住民集会で説明する様子(本人提供)

震災支援で感じたコミュニティの重要性

 日本には2010年に帰国しました。最初は米国に本部を置くNPOの日本法人に勤めていたのですが、帰国翌年に東日本大震災が発生。被災地を支援しなければ、という使命感から、4月には復興支援に取り組んでいたNGOに転職し、岩手県大船渡市で支援に取り組みました。

 

大船渡市では、学生ボランティアをコーディネートしながら、避難所40ヵ所、仮設住宅120軒で困っていることがないか等、聞き取り調査を実施。その中で「コミュニティ」の重要性を痛感しました。子ども支援の団体でしたが、子どもたちを直接支援しても効果が一時的で、地域や周囲の大人たちが子どもたちを支えられる環境にならなければ、健全な育成ができないということに気づかされたのです。ボランティアを装った詐欺等もあり、地域からの信用を得るのに1年くらいかかりましたが、仮設住宅などで被災者が主体となって復興するための基盤となるよう、コミュニティづくりの支援を展開しました。

 

残念ながら人手不足もあり、そのNGOでの支援活動は2年で打ち切りとなってしまいました。NPO等が常に人材不足と資金難を抱えて発展しきれないことは、大きな課題です。しかし、私は復興支援でやり残したことがあると思い、岩手大学の三陸復興推進機構に特任研究員として加わって、地域を拡大して支援活動を継続することにしました。NGOやNPOも選択肢として考えましたが、給料などの条件が揃わなかったので、支援のプロとして相応の対価を得るためにも、最善の形をとりました。

「リーダーシップの交代は、どんな組織でも課題となります」

「他人事を自分事にして、自分たち事にする」

 被災地は日本の課題先進地でもあります。高齢化率が高く、自治会やコミュニティの中心的役割を担う方に役割が集中、疲弊して倒れ、後継者がいないという問題があります。これは日本のすべての地域で起こりうる問題です。私が取り組んでいるのは、こうした課題が凝縮されている災害公営住宅(復興住宅)のコミュニティづくり。生活弱者が多い中で、行政の力である公助が行き届かない「人の暮らし・つながり」を守り、全員が参加して自治会を立ち上げ、共助の意識を育む。今は支援が必要ですが、最終的には自分たちの手で、本当の「自治」が生まれるようにサポートすることが目的です。

 

知らない者同士が集まり、組織を作り、運営するというのは一筋縄ではいきません。最初からやる気のある人は稀で、多くが人任せや無関心ですし、それまでの習慣や文化を変えることには抵抗もあります。しかし、公助が弱まる現代において「他人事を自分事にして、自分たち事にする」という流れをつくること、とくに最後の「自分たち事」として捉えられる人をどれだけ増やせるかが、最大のカギです。共助の意識を醸成し、行動に移すまでも大変ですが、その文化を定着させ、継承していくことはさらに大変な仕事です。継続を確かなものとするには、属人的ではない「組織としてのリーダーシップ」が重要な課題となります。

 

支援活動はやり方によって、依存を強めるだけの結果にもなりかねません。私自身、何かできることがあるはずだという思いで、こうした活動に関わるようになりましたが、その中で、助けを必要とする人たちが自立して自らの人生を自ら歩んでいけるよう手助けすることが、目指すべき支援のあり方だと実感するようになりました。そのように社会の意識を変えていく、チェンジメーカーになりたいと思っています。

 

震災から10年が経ち、そろそろ「復興」という名の下で行う支援には区切りがついて良い頃合いです。今後は、私たち支援者の意識も、変えていく必要があるでしょう。そうした人の意識を変えていくことが、私にとって一番大変で一番重要、かつ一番やりがいのある務めだと思っています。

船戸 義和(ふなと よしかず)

1978年生まれ。2001年に最高学部卒業後、渡米。2008年にSchool for International Trainingの修士課程修了。2010年に帰国、ポラリスプロジェクト(*1)、チャイルド・ファンド・ジャパン(*2)での活動を経て、2013年より岩手大学に着任。災害公営住宅での自治組織支援活動等に従事。

 

(*1)現・人身取引被害者サポートセンターライトハウス。性的搾取・労働力搾取に取り組むNPO。

(*2)地域開発支援、貧困支援、災害復興支援を中心に活動するNGO。