第168回 2020年クリスマス講話「幼な子に立ち返れ」/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第168回 2020年クリスマス講話「幼な子に立ち返れ」/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第168回 2020年クリスマス講話「幼な子に立ち返れ」

2020年12月25日

今年のクリスマスでは、全国友の会、女子部礼拝、教職員全体会で礼拝の講話をしました。以下はそれをまとめたものです。長いブログですが、お時間のある時にお読み下さい。

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11月29日から、イエスの誕生を待ち望む期間アドベントが始まりました。それぞれの教会によってその言い方も迎え方は様々だと思います。私が所属しています聖公会では降臨節と云います。カトリックでは待降節でしょう。この季節に思い出す二つのエピソードをお話します。

この期間にドイツのベルリンのフンボルト大学で講演に呼ばれたことがあります。もう20年も前です。その時、一番の思い出は何と言っても、クリスマスマーケットの甘くてあったかいグリューワインですが、この期間が始まると、日曜日ごとにシュトレン(シュトーレン)を薄く切って祝う習慣に出会ったことも忘れられません。あのシュトレンの形と砂糖でおおわれた外見は、幼子イエスが純白のマントで包まれたことに由来するものだということをその時聞きました。私たちを招いてくれた若いドイツ人夫婦は、鼻歌で「きよしこの夜」のメロディーを口ずさみながら、ケーキを切り分けてくれました。その時は、日本人もよく知っているから歌ったと思ったのですがそうではないようです。彼はシュトレンに幼子イエスを重ねていたのです。

その時聞いた「きよしこの夜」は忘れられません。そして、この頃は、「きよしこの夜」が、私にとってのキリスト教との出会いの原点を示していることを強く感じるのです。

私が初めて、キリスト教に接したのは、幼稚園時代です。昭和20年代です。戦後すぐでありました。私は昭和19年の生まれですから、昭和25年(1950)の頃だったと思います。函館の遺愛女学校の近くにあった幼稚園です。キリスト教関係の幼稚園でした。

はじめて覚えた讃美歌と云ってもいいでしょう。何回もクリスマスを経験してきましたが、この讃美歌は私の心から離れません。私を子供の時代に誘い込む歌だと云ってもいいでしょう。幼い記憶を呼び覚ますような歌なのです。私はこの歌を胸の底に持っていることに幸福を感じるのです。

少しわき道へそれます。「きよしこの夜」は、1816年ヨゼフ・モールというカトリックの司祭によって作詞され、オーストリアのザルツブルグの教会で歌われたのが最初だそうです。ナポレオン戦争直後、この国は混乱の中にありましたがようやく訪れた安堵の時にクリスマスを迎えようとしていました。しかし当日になって、オルガンがネズミに食われ音が出ないという事態が生じたのです。それで致し方なくギター伴奏に適した聖歌を作曲しなければならなくなり、(ミサにギター伴奏は許されていない時代だったのですが、・・)その時に作られた曲が、「きよしこの夜」であったのです。今、この教会は「きよしこの夜」の記念堂として残り、そのステンドグラスにギターを弾く姿が描かれているのをネットで見ることが出来ます。ネズミがオルガンをいたずらしなければこの歌は生まれなかったのかもしれません。私たちは今、3番までしか歌いませんが、最初は6番まであったそうです。その5節には、「主は怒りをお捨てになって…全世界にいたわりを約束された」とあります。この歌には、民族の強い平和への願い込められているのです。又ヨーロッパでよく語り継がれているエピソードがあります。

第一次世界大戦中、土豪の中イギリス軍とドイツ軍が国境を挟んでにらみ合っていましたが、突然に、ドイツ側陣地から、明りが高々と掲げられました。英国軍はこれは変だと警戒をしました。そして、まもなく聞こえてきたのはドイツ語の”Stille Nacht! Heilige Nacht”(きよしこの夜)でした。そしてその歌が終わったすぐ後に、今度は英軍スコットランド陣地からバグパイプの英語による”Silent Night” が歌いだされたのです。その時戦場から、銃声や砲声が消えました。しばらくして、双方の兵士たちは、三々五々、銃を置いて、対峙している中間地帯に出ていきました。お互いにクリスマスを祝福し、握手をし、持っている食料や飲み物を交換しあい、互いの家族の写真を見せあったのです。つかの間の停戦と敵味方同士の交流がこのきよしこの夜の歌を仲介として生まれたのです。戦争をしていても、本当は、兵士それぞれはクリスマスには、平和を望み、静かな夜を過ごしたかったのです。このエピソードは世界中に伝えられ、広まり、ついに何度か映画化、演劇化されるようにもなりました。2006年映画 「戦場のアリア」 もこれに近いものです。少し内容は違いますが・・・。

こんなエピソードがあることが、300を超える言語に訳され、歌われて、世界で最も有名なクリスマス・キャロ「きよしこの夜」になった一因かもしれません。

先ほど、「きよしこの夜」は、私がキリスト教に接した最初の体験と重なるという話を致しましたが、ここで思い出すのは、トルーマン・カポーティの「クリスマスの思い出」というアメリカ小説です。

渋谷の文化村で、「トルーマン・カポーティ 真実のテープ」という映画のロードショウが11月6日から始まったという記事を読んで久しぶりに彼の名を思い出しました。オードリー・ヘップバーンの『ティファニーで朝食を』の作者だという方が分かりやすいかもしれません。(映画と原作はあまりに違いすぎ、カポーティは試写会で椅子から転げ落ちたそうです。)1984年にアルコールと薬物中毒に苦しみ54歳で亡くなりました。1960年代、恐るべき子供などと称された現代アメリカ文学の寵児です。映画のキャッチコピーには、「誰もが一度は会いたいと願うが、一度会えば二度とは会いたくない男、早熟の天才作家トルーマン・カポーティ」とあります。

1990年文藝春秋社刊行の日本語版クリスマスの思い出」は、訳者村上春樹・絵は山本容子です。(彩色の銅版画が20点挿絵として挿入されています。)7歳の僕(バディー、カポーティ自身)の語りで、親友(遠い親戚従妹)の60歳を超えたおばさん(スック)と、犬のクイニーが一緒に過ごした最後のクリスマスの思い出です。1時間くらいあれば読み切ってしまうような短編です。

舞台はアラバマの片田舎。毎年11月の終わりごろになると、スックおばさんはクリスマス用のフルーツケーキを大量につくるために台所に立ちはじめます。ケーキを売るのではありません。親しい人?たちに贈るためです。送り先のリストには、親戚の人などの他にドライブで偶然ここに通りかかった若者、大統領の名前まであります。1年間貯めてきたお金を取り出して、ケーキつくりの準備を始めます。このケーキつくりのシーンが実においしそうです。お菓子作りの描写として最高傑作かもしれません。ケーキのお好きな方は是非お読みください。

イブの夜は、「ローズベルト夫人は明日の夕食の席に私たちのケーキを出すだろうかねえ?」などと話します。なけなしの貯え(わずかに12ドル)を、ケーキ作りとその発送代に費やし、ふたりには、お互いへのプレゼントを贈るだけの余裕はありません。そこでバディーは、ふたり分の凧を作ります。スックおばさんにとって、それは結婚した妹からの素敵なショールの贈り物よりも素敵なプレゼントです。

クリスマス当日、スックの「ねえバディー、風が吹いているよ」という声を合図に、ふたりは牧草地に駆け出します。

「ねえバディー、風が吹いているよ」この言葉は、毎年、クリスマスの朝毎に耳元でささやく声です。私にとって忘れてはならない言葉になりました。

草の上に寝転んだスックが「神様のお姿を見るには私たちはまず病気になって死ななくちゃならないんだってね。」と語り掛け、「でもそうじゃないんだ」と悟ったように言います。

「これは誓ってもいいけれどね、最後の最後に私たちははっと悟るんだよ、神様は前々から私たちの前にそのお姿を現わしていらっしゃったんだということを。物事のあるがままの姿」―彼女の手はぐるりと輪を描く。雲や凧や草や、骨を埋めた地面を前脚でかいているクイニーなんかを残らず指し示すかのように、---「私たちがいつも目にしていたもの、それがまさに神様のお姿だったんだよ。私はね、今日という日を胸に抱いたまま、今ここでぽっくりと死んでしまってもかまわないよ」

二人の共同生活は、バディーが、寄宿舎付の学校に入れられることで終わりを告げ、やがて、寄宿舎にスックおばさんの訃報が届きます。最後の部分です。

「その知らせは僕という人間のかけがいのない一部を切り落とし、それを糸の切れた凧のように空に放ってしまう。だからこそ僕はこの十二月の朝に学校の校庭を歩き、空をずっと見上げているのだ。心臓のかたちにも似たふたつの迷い凧が天国に向かって飛んでいくところが見えるのではないかという気がして。」

村上春樹は、解説で次のように言います。「ここに描かれているのは完璧なイノセンスの姿である。そのイノセンスは無垢な少年としてのパディー、世間から外れてしまった童女のような60歳のスック、そして犬のクイ―ニ―という三者によって形成されたサークルの中にひっそりと維持されている。彼ら三人(二人と一匹)は誰もが弱者であり、貧しく、孤立している。しかし彼らには世界の美しさや、人の抱く自然な情愛や、生の本来の輝きを理解することができる。そしてそのような美しさや暖かさや輝きが頂点に達して、何の曇りもなく結晶するのが、このクリスマスの季節なのだ」

誰にもあるイノセント(無垢)の時代。それは古今東西、あらゆる歴史において宝石のように輝いている子供の時代です。それを大切にするのがクリスマスです。そして象徴するのが「きよしこの夜」の調べではないかと思うのです。そして、その調べの背後にクリスマスだからこそ、思い起こさねばならないことがあるのです。無垢なイノセントワールドにひたると同時に思いを寄せなければならないことがあります。クリスマスだからこそ思いを寄せなければならないことがあります。

あまりに子供の不幸が続いていることです。自由学園最高学部長ブログ第167回「忘れてはならない数字」に書きました。そこに書いたのは、コロナ禍で忘れてはならない数字があるのではないかと云うことです。2020年、9月3日、ユニセフ、イノチェンティ研究所は、先進38か国における「子どもの幸福度」総合調査ランキングを発表しました。日本は昨年より順位を下げて20位。1位オランダ、2位デンマーク、3位ノルウェーです。調査は3分野。第1分野、身体的健康度は世界1位。第2分野は、スキル。学力・職業適応力。これは27位。驚くべき結果は第3の分野、精神度の幸福調査です。これは生活満足度、自殺率などが基準。第3分野で日本は37位です。最下位の一つ前です。幸福度。肉体的には第1位、精神的には最下位水準。私はこのアンバランスに改めて驚きました。世界中でもっとも悲しい思いをしている子供たちが多いのは日本なのです。

クリスマス。われわれは、自分の中にあるイノセント・ストーリー、無垢であった時代、純真に神と向き合った時代を思い出します。そして同時にそれは今さびしい思いをしている子供たちのことを考えることにつながらねばならないのです。その接続定点がこの降誕の日です。何時の時代にも変わらぬクリスマスの日の使命といってよいものではないかと思います。

最後に目を閉じ私たちの生まれた日のことを思いましょう。目を閉じた向こうに、母に抱かれる私自身が見えるはずです。私自身の姿の上に重なるのはマリアに抱かれるイエスです。遠くで二つの像が重なります。そして悲しんでいる子供たちの姿が折り重なってきます。

クリスマスは私たち自身が幼な子に立ち返り、イノセント・ストーリーに向き合う大切な時です。

2020年12月25日 渡辺憲司(自由学園最高学部長)

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