第117回 謹賀新年「イノシシ祈願-摩利支天・勝軍地蔵」/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第117回 謹賀新年「イノシシ祈願-摩利支天・勝軍地蔵」/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第117回 謹賀新年「イノシシ祈願-摩利支天・勝軍地蔵」

2019年1月3日

例年の如く、奥日光の温泉で年越しをして帰りのバス。戦場ヶ原あたりを過ぎた頃、孫達が、小さなイノシシの3頭連れを一瞬見かけたと大はしゃぎだ。
私は見過ごしたがまずは吉兆。

渋滞のいろは坂、うとうとしながら、ネパールのバラヒ寺院のことを思い出した。(昨年のネパール旅行中、行くことが出来ず、心残りだったのはこの寺だ。)
この寺院には、シャクティ(女性の力)の守護神であるアジマ神の化身としてイノシシが祀られている。どんなものなのかわからないが、ここで生贄に祀られるのがオスの動物に限られると云う話にも興味が引かれた。
ヒンズー教では、イノシシは重要な役割を担っている。大地の女神がさらわれて海の底に連れ去られそうになった時に彼女を追い、見つけ出したのはイノシシのアヴァターラ(化身)であった。
滞在中、数少ない寺院しか見ていないが、日本の仏教の諸仏とネパールの神々との類似性は驚くほどだ。殊に動物神との近似性は目を見張るものがあった。

イノシシと関連する日本の神様と云えば、「摩利支天」である。「摩利支天」は、江戸時代には、「大黒天」・「弁財天」とともに三天と称されて信仰を集めた人気の神様だ。摩利支天は、女性神、そしてその神の使いがイノシシである。
江戸では、徳大寺(上野のアメ横の摩利支天)が有名だが、日本各地に摩利支天が祀られている。日蓮宗などとも結びつき商売繁盛の神様ともされているが、戦いの神様とされているのが本筋である。忠臣蔵の大石内蔵助が摩利支天を信仰したと云う話や、上杉謙信を初め多くの武将たちが守り神としたという話も伝わっている。因みに、葛飾北斎がもっとも好んだ動物素材はイノシシと虎であろう。海を渡るイノシシなど北斎のイノシシはいい。シーボルトが日本紹介の表紙に、北斎のイノシシをあしらったのは卓見である。

武将の間で広まって摩利支天の説話が変化したのが、勝軍地蔵だ。忿怒の表情の摩利支天が甲冑姿でイノシシの背に乗って登場するのだ。
ネパールで生まれたフェミニストのイノシシは、日本で男性中心の猪突猛進の武将イメージに変わったようだ。
何時もの年なら、上野鈴本で初笑いの落語を聞き蓮玉庵、初そばで冷やといったところなのだが、亥年のアメ横摩利支天は人ごみの中、減量作戦もある、正月三日に東上線坂戸から徒歩30分、浅羽地区の長久寺の勝軍地蔵を訪ねた。

享保14年(1729)年建立。60センチほどの石像。イノシシが作物を荒らすのを嘆いた農民がイノシシ退治を祈願して奉納したものだと掲示板にある。甲冑姿だが、刀も弓も持たない、イノシシも勇猛な姿ではない。子供が甲冑を付けてイノシシの子ども(瓜坊)にまたがっているような気がしてほほえましくなった。寺の前に幼稚園があるので猶更そんな連想になる。私には五月人形のように見えた。子供の成長を願ったものかもしれない。近くの土屋神社の鳥居の下には「摩利支尊天」と記された石碑があるから、この辺り一帯に「摩利支天」信仰が広まっていた影響もあろう。

『徒然草』にも、恐ろしいイノシシも、枯れ草を集めた寝床にいる猪(「伏す猪の床」)といえばかわいらしくやさしく聞こえるものだというが、坂戸長久寺のイノシシにはそんなやさしさがある。
和気清麻呂が悪役道鏡?に追われ、足の筋を切った時、300頭のイノシシに助けられた由来から、足腰の丈夫を願う神様でもある。何処の神社か忘れたが「ぴんころ」、元気でコロリの神様でもあったはずだ。
まずは、イノシシ祈願で歳が始まった。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

2019年1月3日 渡辺憲司(自由学園最高学部長)

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